今週のお題「わたしの好きな歌」
こんばんは、ダーレクです。
“amazarashi大好き系ブログ”なんて名乗ってる以上は見過ごせないお題が出されたので、主にamazarashiを知らない人向けに彼らの歌を紹介してみようと思います。
好きな歌、と言われて僕の中で思い浮かぶ曲はある程度決まっていますが、その中でも魅力を伝えやすいのは『たられば』という結論に至りました。
ボーカルの秋田ひろむさんが様々な「もしも~だったら」を思い描く歌です。
ぶっ飛んだ妄想から始まる1番
もしも僕が天才だったなら たった一つだけ名作を作る
死ぬまで遊べる金を手に入れて それこそ死ぬまで遊んで暮らす
『たられば』の名に恥じない、バカみたいな夢物語から始まります。
秋田さんはゲーマーなので、“遊んで暮らす”がゲーム三昧の事だったら微笑ましいなあ、なんて思ったり。笑
もしも僕が王様だったなら 嫌いな奴は全員消えてもらう
僕以外、皆居なくなるかもな なら僕が消えた方が早いか
『しらふ』というポエトリーリーディング曲の
「自分以外皆死ね」ってのは「もう死にてえ」ってのと同義だ
という歌詞と考え方が似てるってよく言われています。
どくさいスイッチとも言われています。
あなたの眠った顔見ていたら こんな僕も
悪くはないなって思えたんだ
ここまで度肝を抜かれるたらればが続いていましたが、
ふと、そんな妄想から醒めて眼前のささやかな幸せを噛み締める秋田さん。
ボーカルの秋田さんがキーボード兼妻である豊川真奈美さんに向けて歌ったフレーズです。
いやーこんなカッコいいこと言ってみたいですね。
寝顔を眺めてるだけで今の自分を肯定できるような「あなた」に出会うというのは、いつか僕も辿り着きたいゴールです。
もしも僕の頭が良かったら 大学に行って勉強するよ
立派な仕事で親孝行して 両親が喜ぶ顔が見たかった
サビ前から一変して急に現実的なたらればになりました。
リリース当時は僕もまだ高校生だったので、「秋田さんの分まで受験勉強頑張らなきゃ」なんて思いつつ、そのリアリティに心を抉られていました。
え、結果ですか?
綺麗事ゾーンの2番
もしも僕が優しい人だったら 困ってる人は全員助ける
見て見ぬ振りで素通りして 惨めな気持ちになるのは、もう嫌だ
この歌詞だけは昔から違和感を覚えています。だってその思想が十分優しい人ですもん。
もしも僕が話し上手だったら 深夜ラジオのパーソナリティーになる
どこかの誰かの辛い一日を 笑顔で終わらせる人になる
秋田ひろむ感溢れる発想と程よい綺麗事でホッと一息ついてサビに入ります。ほら、やっぱり優しい人なんですよ。
もしも僕がミュージシャンだったなら 言葉にならない言葉を紡ぐ
誰も聞いた事無い旋律で そんな事考えていたっけな
「そんな事考えていたっけな」という夢オチならぬ現実オチがなんとも秋田さんらしく思えます。
『たられば』はその構成上、メロディーが単調と言われがちですが、マイケルジャクソン厨の母親がボソッと褒めた事もあるメロディーなのでその辺はちゃんと補えてるのでしょう。
もしも僕が名医だったなら 親父の病気は僕が治す
照れくさいから言わないけどな そういうとこばっかり似てるよな
大学に続いてちゃっかり親孝行アピール秋田さん。ほら、やっぱり優しい人なんですよ。
神になったり生まれ変わったり
もしも僕が神様だったなら 喜怒哀楽の怒と哀を無くす
喜と楽だけで笑って生きていて それはきっと贅沢な事じゃない
今までとはスケールの違う、というか物理的に不可能な“もしも”になりました。
『命にふさわしい』の「そんなに悲しむことなんて無かったのにな 心さえなかったなら」というフレーズを彷彿とさせます。
もしも僕が生まれ変われるなら もう一度だけ僕をやってみる
失敗も後悔もしないように でもそれは果たして僕なんだろうか
もうなんかこの世の真理みたいな詩じゃないですか。
個人的には「でもそれは果たして僕なんだろうか…?」って自分に問いかけているのがミソで、そうやって残された余白に救われる事もありました。
いくらamazarashiに歌われようとも「人生やり直せたらなー」って思う瞬間はあるもので、その時に「でもそれはきっと僕じゃないよな」なんて断定されてたら、僕の僅かな夢と希望まで否定された気がして絶望していたかもしれません。
微かな光を残してくれるそのさじ加減が“流石秋田ひろむ”と言ったところです。
ちなみに、そんなamazarashiの最初のアルバムの最初の曲の最初のフレーズがこちら。
もし生まれ変わったらなんて言いたくない どうしようもない
僕の人生も長い付き合いの内 愛しくなってくるもんで
ぶつかって 転がって 汗握って 必死こいて
手にしたものは この愛着だけかもな まぁいいか
そんな光