こんばんは、ダーレクです。
やりたい事とやらなきゃいけない事に埋没して、息もできぬまま数週間が経ってたところを「ボイコット」のニュースに叩き起こされて今に至りますが、
その数週間で少しだけamazarashiに対する想いが変わったような気がしています。
今回はそんな心境の変化を吐き出せたらと思います。
amazarashiと関係ない話も含まれているので、どちらかというと僕自身の頭の中に興味がある人向けかもしれません。
・amazarashiファン⊆“僕みたいな人間”
振り返ってみると、「メッセージボトル」リリース時のインタビュー記事での一節をふと思い出したのが発端でした。
世の中には、amazarashiがまったく必要ない人が大半だと思いますが、僕みたいな人間も結構な数いると実感しています。
当時は「秋田さんみたいな人間が結構な数いるからamazarashiも人気になってきたんだなー」とだけ解釈していました。
が、よくよく前の文を読んでみると、大半の人はamazarashiとは無縁ということに。「amazarashi=暗い」ってイメージが一般的なのも、そういう無縁な人達の偏見がすっかり浸透しているからでしょう。
↓ちなみにこいつは暗すぎ
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いやさ、まだ出会えてないだけならまだしも、あの歌詞が全く響かないなんてことある?そんなに幸せ者なの?それとも頭お花畑なの?
そんな風に、今まで「amazarashiがまったく必要ない人」のことをまるで理解出来ずに生きていましたが、最近どうも自身が転換点を迎えているような気がします。
と言うのも、「amazarashiがあんまり必要ない瞬間」を感じるようになりました。
これは恐らく、秋田さんが新譜のリリースを勿体ぶってる間に僕の音楽の守備範囲がめちゃめちゃ拡張されたのが一因です。それまでは冗談抜きでamazarashi一筋だったんですけどね。
そして、これこそが「大半の人がamazarashiファンに成り得ない理由」の鍵を握っているのではないかと。
・歌詞はamazarashiでお腹いっぱい
僕が他のアーティストに浮気するときは、決まって「音楽」として好きになるのが先行して、そういう「歌詞」もありだなぁという解釈が後からついてきます。
歌詞のクオリティでamazarashiの右に出る者はいない、というのが僕の中の絶対的な結論なので自ずとそうなっているのかもしれません。
だって今まで100曲以上平気で作ってきたのに『未来になれなかったあの夜に』とか書けちゃうんですよ?
とまあ経緯はなんであれ、守備範囲が広がるほど“気分”のバリエーションも増えまくったので、amazarashiじゃない曲を選ぶ機会が増えてきたんです。
はい、今度こそ「amazarashiがあんまり必要ない瞬間」の誕生です。
・amazarashi=間接照明
amazarashiは深い闇を描くことで光を際立たせるバンドなので、全体的にはさほど明るくないと言えるのも事実です。どう転んでも、ピカーン!きゃー眩しいー!とはなりません。
それこそ『光、再考』くらいの微かな光がイメージ通りかも。そう考えるとめちゃめちゃamazarashiですねこの曲。
しかし、僕はいつの間にかポジティブシンキングが得意になってしまったようで、amazarashiが無くとも勝手に理論武装して凹んだ出来事を糧にできるようになりました。
そんな僕に必要となってくるのは次のステップ:もっと強い光です。
今の僕にしっくりくるのは、塞ぎ込んでるところにそっと手を差し伸べてくれるような言葉ではなく、漠然と前を向いている僕にニンジンぶら下げて「ほらさっさと行くぞ」って言ってくれる言葉というか。
amazarashiの中でも最近は『ジュブナイル』『終わりで始まり』『もう一度』など、比較的素直なメッセージを好んで聴いているような気がします。今回のニューアルバムにはそういうの無いかなー。
そもそも僕は「死にたい」が「穴があったら入りたい」の域を超えたことのない人間なので、YouTubeのコメント欄でちらほら見かけるamazarashiのメインターゲット層(?)ではなさそうなんですよね。
それ故、最近よく言われる「amazarashiが明るくなった」は、より前向きな歌を求めるようになった今の僕にとっては追い風だったりします。
・求)僕にニンジンをぶら下げてくれる人
そんな僕の需要を最も満たしつつあるのが[Alexandros]というバンドです。ワタリドリの人です。なんと彼らも今年でメジャーデビュー10周年だそう。
ネガティブをポジティブに昇華する曲をよく歌うという点ではamazarashiと似てなくもないんですが、例えば『祈り』で言うところの
「僕らは
無力だ」と暗闇に祈るのが無力とは信じないぜ
本当に
みたいなバンドで、もっとシンプルで感情論寄りな傾向があると思います。
amazarashiに慣れているとこういう短絡的ポジティブソングには一旦拒絶反応が起きるんですが、なんと言ってもサビのメロディが僕好みなので、嫌々(?)聴いてるうちに歌詞も染み込んでくるんですよね。すこです。
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↑こないだ新曲出ました。フィロソフィーですって。
以上、僕が2番目に好きなバンドは[Alexandros]ですよというお話でした。
・とどのつまり
みらよるとアレキしか聴いてない時期もあったり、僕の中で過去最高にamazarashiに食らいついてる彼らですが、そちら側に寄りかかってみたことで、amz無しで生きていく人の考え方が少しだけ分かった気がします。
励まし方こそ違えど、殆どのアーティストは応援歌を歌っています。そしてそれぞれに救われた人も一定数いるのでしょう。
つまり、「amazarashiがまったく必要ない人」は、音楽による応援が必要ないのではなく、amazarashi型応援歌がしっくり来ないってだけ、というのが僕の辿り着いた結論でした。
多分、米は米でもうるち米を食べるかインディカ米を食べるかみたいな違いです。インドの人にとって日本の米はベチャベチャであんまり好まれないって聞いたこともありますし。
正しいも正しくないも考えだすとキリがないから、せめて望んだ方に歩けるだけには強がれるなら何でもいいんじゃないですかね。