こんばんは、ダーレクです。
ニューシングル「境界線」に収録された『少年少女』について、うおおお以外に感じた事を書き留めておきます。
改名とメジャーデビューの狭間でリリースされた「0.6」の楽曲は、当時のMVが公開されていなかったり、公式サイトのdiscographyにも載っていなかったり、何かと不遇な扱いを受け続けています。
一方で、iTunes等では普通に配信されていたり、セトリに入れば「from 0.6」としっかり記載されるなど、対等な扱いを受けている場面もちらほら。今後のアルバム収録が見込める「未収録曲」とも事情が違うだけに、脚光を浴びづらいポジションです。
そんなインディーズアルバムから2曲目の映像化、しかも1曲目のMVがとんでもない神作だったので、通知を見た時の僕の興奮は最高潮でした。通知で最高潮ということは、裏を返せば拍子抜けだったという事ですね。
Lyric Videoとは言って…る
リリックビデオという観点での不満点が3つあります。
①“Lyric Video”を名乗る割にリリックをサボる場面が多い
もはやタイトル詐欺です。不満というか不快に感じます。“Lyric(Speakerも出てくる)Video”に改名しましょう。
②引きの映像が多すぎて、醍醐味であるはずのリリックを強調する気が感じられない
これは特にリリックスピーカーが複数出現するシーンで顕著ですね。クラス全員が一字一句同じこと考えてる訳ないだろ進学希望調査と矛盾してるぞ人間舐めてんのか。
③斜め上アングルで時々リリックが見切れている
少なからずストレスを感じた点ですが、相対的にどうってことないような気がしてきました。
間奏でチラッと校舎やグラウンドを映したり、クライマックスで黒板にリリックが投影されるのは好きです。
『少年少女』は少年少女の歌なのか
夜の街を彷徨いながら 昔話に夢中になってた
そんな事もあったねと 彼女は笑いながら泣いた
それでも それでも 頑張れなんて言えなかった
さよなら さよなら せめて笑いながら手を振った
曲名が『少年少女』なのは間違いありませんが、その歌詞や付属詩の語り手はどう見ても“少年少女の成れの果て”です。
学生のような描写もありますが、マジレスするとただの回想です。マジレスしないと未来人です。
この曲の肝はあくまで大人になった“僕等”が学生時代を懐かしんだり、その感傷を振りほどこうとするところにあります。「昔」の「その後」が大事なのです。
故に、昔(学生時代)に重きを置くMVはこの曲の趣旨とズレていると感じざるを得ません。“少年少女”の苦悩を深堀りするのはこの曲の役割ではないのだから。ジュブナイル聴こう!
この齟齬は、缶コーヒーのCMに書き下ろしたはずの『フィロソフィー』が学生の苦悩を描くMVにくっつけられちゃった事件と似ています。
というか歌詞さえ読めばテーマが明白であり誤解する余地があるとは考えづらい分、『少年少女』の方がタチの悪いこじつけ方をされていると言えます。
今回のリリックビデオは言ってしまえば「タイトルだけ見て適当に撮った感」がします。ネットニュースの見出しだけ見て批判する人みたいな。この構想を考えた人の先入観は凄まじいと思いますよ。
じゃあ誰を中心にこの映像を製作したのかと言えば、近年のamazarashiの演出担当としてお馴染みのSIXの方々。
先述の『フィロソフィー』のような問題作も、反対に『つじつま合わせに生まれた僕等(2017)』『季節は次々死んでいく』のような神作も彼らの作品です。
僕の思うSIXは、「amazarashiの集大成」「〇〇とのタイアップ」など絶対的な指標があれば高い打率を誇るものの、単純に「新曲のMV作りま〜す」だと変な方向に走り出しちゃう印象の強いチームでした。
今やその法則も崩れ去りました。amazarashiのレジェンド曲を引き立てる事にも飽きられてしまったら、僕はもう彼らに何を期待すればいいのか分かりません。
- MVの改善点考察
リリックをサボらないのは大前提として、思い出を演出するならもっとふんわりとした描写に留めておくべきだったでしょう。
例えば机の落書きとか、下駄箱のラブレターとか。どうしても書類を使いたいなら入部届とか、合唱祭の楽譜とかそういうことじゃないでしょうか。
『この街で生きている』で使われているような、一人称視点やフィルター風の断片的な映像も演出としてはありだったかなあと。
また、最後にちょこっと高校生が出演するのも非常に中途半端でした。
最初から最後まで淡々と「学校」のみにフォーカスするか、これが日常でしたよと言わんばかりにリリックスピーカーの周りで学生の休み時間を展開するべきだったと思います。野球部のホームインする姿も良さそうですね。
教室以外の場所でリリックスピーカーを流すのも悪くなかったりして。それこそ校庭の隅っことか野球部のグラウンドとか。
音源としては100点満点なのだけれど…
ここまで色々書いてきましたが、僕は『少年少女』が嫌いなわけではありません。
amazarashiのファンになった当初からこの曲の存在やその重みを認識してきた分、満を持してやってきた晴れ舞台がコレジャナイMVに乗っ取られてしまったという事実がたまらなく悔しいのです。
今回のリリックビデオからは『少年少女』という楽曲へのリスペクトよりも、曲名に託けて自分達のやりたい事をやってやろうという製作者の気持ちが滲み出ていて悲しくなりました。新曲MVの一喜一憂よりも重々しい感情を抱いています。
一方、曲そのものの感想を述べるなら「最高」の一言に尽きます。
ボイコットツアーで目の当たりにしたような令和三年の秋田さんの気迫がこの5分46秒には詰まっています。これがYouTubeで聴き放題&拡散し放題になっただけで価値があると云えばそうではあるんですけど…。
『少年少女(2021)』ではない理由(おまけ)
『つじつま合わせに生まれた僕等(2017)』のように(2021)を付けてもらえないのが気になったので、仮説をとりあえず2つ考えてきました。
①「0.」「0.6」の音源がメジャーリリースされていないから
『つじつま合わせに生まれた僕等』の原曲はベストアルバムにて再収録、しかもリメイク音源も同時に収録されたので混同しないように差別化しただけ。つまりあっちが異例だったという説。
amazarashi的には『未来づくり(2011)』『スターライト(2014)』ではないのと同じくらい当たり前なのかもしれない。
②つじつま程の新アレンジが見られなかったから
イントロの楽器や歌い出すタイミングなど、それなりに新鮮な相違が見られたつじつまに比べて、今回の少年少女は限りなく原曲に近いアレンジを保っていた。それが別称になるかならないかの境界線である可能性も微レ存…?
無論、僕はかなりの確率で前者だと思っています。
つじつまの「0.6」音源がベスト盤に再収録された理由は、同アルバムの特設サイトにて語られています。
14.つじつま合わせに生まれた僕等(2017)
ベストを出すならこれを入れて、MVを作ってまた世の中に送り出そうと大分前から決めてました。
(中略)
あと、この曲の原曲も収録されているのは、よくベストとかでアレンジバージョンとかリテイクバージョンとかでがっかりする場合があるじゃないですか。わいも経験あるんですけど。そういう事態を避けたかったという理由です。amazarashiの成長と、それと共に失ったものを感じてもらえたら。
今回は“そういう事態”を避けられない訳があったのか、敢えて避けなかったのか。予算や権利などの大人の事情か、新録一本でリスナーを唸らせる自信があったという事なのか。
どちらにせよ、つじつまとの統一感が無くなった点には若干もどかしさが残ります。散々“Acoustic ver.”の表記ゆれを見てきて何を今更って感じですけど。笑
ちなみに、当ブログでは便宜上『少年少女(2021)』というあだ名をこれからも使用していきます。よろしくお願いします。