雨曝しな気持ちは言葉にするべきだ

雨曝しな気持ちは言葉にするべきだ

amazarashi大好き系ブログ

「チ。」を読んで『カシオピア係留所』を聴いて色々考えてました

ご無沙汰してます。ダーレクです。怒涛の2ヶ月半サボりですが僕は元気でした。

大事な近況報告といえば愛知公演の参戦決定くらいですかね。その節はよろしくお願いします。


さてさて「チ。」の最終巻&『カシオピア係留所』が解禁されて暫く経ちますが、流石にスルーしようと思っていた訳ではないので感想文を残しておこうと思います。色々あって本来前後編に分けるべきサイズになりました。


僕の略称は「カシ係」から徐々に「カシピ」に移り変わりつつあります。そっちはどうだろう。

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元々は漫画の感想もネタバレ全開で書くつもりでしたが、この作品の展開を大っぴらにするのは勿体ない気がしてやっぱりやめました。どうせこのブログで感想を書く機会は再びやってくると思いますし。(意味深)


ただし、「第1集くらいは皆読んでるっしょ!」ってテンションで書いている部分もあるのでご了承ください。物語の展開も相まって多少のネタバレはやむを得ないと思っています。



漫画のふんわり感想

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魚豊先生ご本人の試し読みツイートをプロの作品だとは知らずに過去に読んでいて、その時の印象はあくまで「おもしろそうな漫画」止まりでした。これから!ってところだったのでそりゃそうですね。


この漫画を舐めてはいけないと知ったのは、その先の衝撃展開を見届けてから。



_人人人人人人_
>         <
 ̄YYYYYY ̄

※年内自重


まさかの主人公交代モノ。某僕の大好きなゲームもびっくりのスピード感です。まだ彼のことはほとんど知らない状態だったのに。初見時には誰しもがノヴァクと全く同じ反応をしたことでしょう。


主役はどっちかと言うと人じゃなく「地動説」という概念そのものって感じなんですかね。

この「僕が居なくたって回ってく世界」を体現しちゃったみたいな発想は普通にめちゃくちゃスゴいと思いました。キノコキャニオンのショートカットくらいスゴい。

何クールのアニメになるのかはまだ分かりませんが、区切りのいいポイントは沢山あるので繋げ方には困らなさそうです。

主役がコロコロ変わる点も定期的に話題になりそうですね。途中から観始める人もある意味、リアルタイムの登場人物と同じ視点で物語を楽しめる良アニメになるかもしれません。


ちなみに、以前の代表作ポジであった「ひゃくえむ。」も陸上短距離やってた身として普通に気になっていまして。

阿部共実先生の場合も、秋田さんの言及で後から読んだ「ちーちゃんはちょっと足りない」の衝撃が上回ったりしたので、今回もワンチャンあるのではとブログ更新をサボっている間に読んでみました。

早熟スプリンターの苦悩に主人公の性格というエッセンスが加わってなるほどなあってストーリーでしたが、才能ある人が集まってる割に世界大会の話が全然出てこないのが歯痒くて、個人的には「チ。」の方がフィクションとして没頭できた印象です。あと終わり方にキレました。


楽曲とMVの感想


「amazarashi寄りだな!」というのが第一印象です。それも思ったより大幅に。

Bメロやサビで「チ。」を彷彿とさせる歌詞が散りばめられてる〜とウキウキしたのも束の間、「この痛みだけは彼らと似ている」って急に物語の外側からこんばんはされます。


コラボレーションの前例である『命にふさわしい』『月曜日』はいずれも、情景から決めゼリフまで一貫して登場キャラクター視点orこのキャラのことを歌っているんだなと分かる歌詞でした。

一転して今回は、明らかに秋田さん(読者)の目線で、リスナーである我々に向けて歌われているフレーズがあるのです。メインテーマであるはずの「チ。」を一旦置いていてまで!!

“受け渡す”ことの表現として敢えてこの形を取ったのだと推察できますが、ここが一番の予想外ポイントでした。

「この世にあるほとんどのものが 成し遂げた奴らの血の跡としたら」って“彼ら”の心境じゃないんかーい!となった僕の初聴リアクションも当然だと思います。


つまりは先立って公開されたコメントの通りであり、僕はこの曲をむしろ「共通言語」というプロジェクトのテーマ曲という風に捉えています。

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アニメ主題歌なるか!?

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「チ。」のアニメ化を知っているamzファンならば、誰しもがこの曲の主題歌起用を望んでいるところでしょう。「OPよりはEDっぽいな〜」ってとこまで共通認識だったりして🤔

もちろん僕もその一人でしたが、色々考えているうちに『カシオピア係留所』がOPやEDに起用される可能性は意外と低いような気がしてきました。


楽曲の尺が主な根拠です。というのも一般にアニメのOPやEDは、必ず90秒に収まるように調整を施されています。

ところがどすこい『カシオピア係留所』は、イントロから1番の終わりまで約144秒、イントロとAメロ半分を削っても95秒が限界でした。


例外的にリーガルリリーの『アルケミラ』みたく楽曲の後半を切り取れば、長〜いアウトロ(30秒)込みで100秒くらいになります。

理論上はこっちの方がワンチャンあるということになりますが、よりによって1番のBメロを削るなんてことがあるでしょうか。

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そもそも、2017年1月『ヒーロー』まではTV用のアレンジやカットが多用されていましたが、同年7月『空に歌えば』以降は1番を抜き出すだけでピッタリになるよう、逆算して楽曲が作られるようになりました。

今更その調整を怠るとは考えにくいので、少なくともOPやEDとしての起用を見越しては作られていないと僕は確信しています。


しかし“挿入歌”ならば希望は絶たれていません。同じくエイティシックスを例に挙げると、4分ちょいの曲が贅沢にフルで使われる回がありました。制作会社によって制約があったりするなら話は別ですが、こっちでなら基本的にはなんとかなるはず。

仮に最終回に当てはめて妄想してみると、あの人が某願望で頭を下げるシーン辺りからバックグラウンドで聴こえてきて、そのままスタッフロールも流れ始めるのとか想像に容易くないですか。Short ver.になるかならないかは偉い人次第で。

欲を言えばStarlight ver.が如くアレンジされたインスト音源がアニメの要所で流れたりしたらアツいですけどね〜。(ジラーチ観て思いついた)

とまあ折角書き下ろしてもらったのだから、ある程度は期待しておいても大丈夫だと思っています。そんな薄情な仕打ちは受けないはず。


ちなみに『1.0』はイントロとAメロ半分をカットしてアウトロを繋げることで、いい感じに90秒弱に調整することができます。それこそ活版印刷の回とかにどうでしょうか?🥰

世界に望み託す人には世界は薄情に見えるものです
どうだっていいか

どうしてもカシピの陰に隠れがちですが、1.0もコラボレーションなだけあってそれなりに「チ。」とも共通する単語が散りばめられているんですよね。報われた日の朝とか。

「死んではいけない理由を」という歌詞には背くキャラが多い気がしますが、やはりMVで使用されたコマが合いすぎていて、制作者のセンスに脱帽せざるを得ません。


話を戻して、僕の考えの延長線上にあるのは「amazarashiがもう1、2曲書き下ろす」「全然別のアーティストが起用される」という2択です。

前者がどう見ても願望もりもりな上に、正直なところ、全然知らないアーティストのそこそこまあまあな新曲が「チ。」のOPやEDとして流れていてもさほど違和感はないような気がしています。今のところは。


それこそ「ニーアオートマタ」のアニメの方が他アーティストが介入するハードルは高そうに思えます。原作ゲームの時点で世界観が音楽まで確立されていますからね。(続報が来る前に書き切りたいネタ)

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オタク特有の楽曲解剖


複数の楽器が入り乱れて徐々に形成されていくイントロ。枠に囚われない感じは『数え歌』や『未来になれなかったあの夜に(long edit)』と近いですかね。

地鳴りと夜空を彷彿とさせるような、地球を感じるこのハーモニーはやはり出羽さんの仕業なのでしょうか。いつも素晴らしいアレンジをありがとうございます。


主旋律は「生後間もない詩を引き連れ」だけでエンディングテーマ感。「こんなに空が青いのは ちょっと勿体ないな」と音域が同じで楽器の厚みも似ているから当然っちゃ当然なんですけど。

エンディングテーマ

エンディングテーマ

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「カシオピア係留所の灯りの下」というフレーズがAメロ毎、おまけ程度に歌われて進行していくわけですが、要するにカシオピア係留所って“星空”をamazarashi語に翻訳しただけだったってことですよね。いとをかし。

タイトルが明かされた時点では「千分の一夜物語」の如く、全く違う星でのお話が交ぜられるものかと思っていました。それがまさか「地球の上にいるよ!」を強調するためだけに作られた存在だったとは……一本取られた気分です。


歌詞の美しさでは、1番Aメロ②と直後のBメロが好きです。この辺から本格的に「チ。」とのクロスオーバーが始まった感があります。

逃れられない君の影の常に逆に 進むべき光
生まれながらに記されてた 足元にある宇宙の影絵
カシオピア係留所の灯りの下

秘めた意志 急かす未知 受け取って手渡すこと
身を焦がした この好奇心が身を滅ぼすと
知ったとしても

光を巧みに表現するのも流石秋田さんだなあと感嘆するばかりですが、今回は特に「急かす未知」っていうフレーズの深みがスゴすぎると思うんですよね。「手の施しようない未知への衝動」がさらに凝縮されたみたいな。

主人公達がいかに地動説に振り回されているのかがたった5文字に込められていて、ぶわーっと色んな情景が浮かんできます。(際立ってペラペラな感想)


「知ったとしても」「でも本当は」というBメロからサビに繋がるフレーズには、amazarashiの信念である「それでも」の「も」が入っています。

amazarashiが貫いてきた諦めの悪さは「他に選ぶ道がないから」が大体いつもの理由付けだったのが、今度は「好奇心」という側面からのアプローチ。余計なことをしない、という選択をすれば平和に暮らせていたはずなのに、わざわざ命を懸けてしまう大馬鹿野郎共の物語だからこそ生まれた表現なのです。あーコラボの醍醐味。


「この好奇心が身を滅ぼすと知ったとしても消えたりしなくて」と、実はBメロとサビの歌い出しで日本語がリンクしているのも芸術点高めです。『パーフェクトライフ』推しの僕としては尚更!

パーフェクトライフ

パーフェクトライフ

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amazarashiファンとして少し面白かったのは、『コンビニ傘』では睨みつけていた星座に、今度は逆に睨まれているという立場の変化です。

夜空を塞ぐ星座に睨まれて 大きなものの一部だと悟った

『カシオピア係留所』っていうタイトルもそうだったんですけど、原作同様に真の主役は「宇宙(地動説)」の方なんだという暗示がされているように見えます。自分らが「影絵」の作品側にされてるところとか。


世間的に最も評価されてるっぽいのは、やはり3番のここでしょうか。

痛みの堆積が歴史だ それが僕らの最初の武器

「痛みは時代も超えるのだろう」という秋田さんのコメントとリンクしているだけでなく、悲しみや苦しみを雨に例えたamazarashiが今まで積み重ねてきたものという共通点にまで昇華されています。

コラボ楽曲としての醍醐味が極限まで凝縮されているなあと思わされますね。さっきも似たようなこと言ったような。さすが共通言語で通じ合えているだけあります。


ところで、当ブログで記録を続けている事の一つに非和声音なるものがあって、そちらでもカシピは獅子奮迅の大活躍でした。

dalek-amz.hatenablog.com

「カシオピア係留所の灯りの下」「知ったとしても」「その痛みは共通言語だ」「でも本当は」と、過去一の頻度で非和声音が織り込まれています(計16回)。何が何でもメロディアスな曲にするぞという秋田さんの気合いを感じますね。


そんな中で一番面白いと思ったのがBメロの〆を飾る「知ったとしても」「でも本当は」の2箇所。

近年はBメロ最後のフレーズのメロディに工夫を凝らされることが増えていて、Bメロ界で唯一裏声を取り入れた『リビングデッド』、サビよりも高い地声最高音を誇る『火種』など多岐にわたります。

音程をグイッと上げてサビに繋げるのが新しい流行みたいですが、今回は非和声音を織り込むという、これまた前衛的なアプローチを食らうことができました。

  \呼んだ?/

Today

Today

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その他、アコースティック寄りな感じとサビのシャカシャカは『たられば』だし、星を感じるという意味では『月が綺麗』を初めて聴いた時に脳裏に映った光景が最も近かったような気がします。後者はスタッフ日記でも挙げられていましたね。

ジャケ写も無意識に影響している気がしますが、聴覚情報からは全体的にオクジーのあのシーンが思い浮かびます。今まさに彼の視点で夜空を見上げている気がしてくるような。


最後に予想の答え合わせをしておくと、「この世にあるほとんどのものが〜」がサビに来たのは半分正解、スターライト要素は多分あんまりなくて、ニムロドの「変わらぬものを変えるのが〜」は原型が無くなりつつも要素はある程度含まれていたと思います。「自惚れてそれを書き足せ」とか!


ド派手で地味なMV

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『1.0』の段階でコラボの奥の手みたいなすげー演出だったので、本命であろうこのタイミングでどんなMVが作られるのだろうかと、ずっと疑問に思っていました。

蓋を開けてみると、ある程度予想通りの無難なMVでした。褒めてはいませんが特に代案がある訳でもありません。僕も何かアイデア出せって言われたらプラネタリウムを挙げていたと思います。


ブログをサボってる間にしれっと人生初プラネタリウムを体験してきたんですけど、あれはすごいですね。200年後の映画みたいな迫力で酔いそうなほど引き込まれました。それ故に「製作者サイド、過剰に手応えを感じてる説」も僕の中に生じました。

完成した(画面の中の)同じ映像を観てもきっと、撮影現場を知っているからこその思い出補正はあって、多分その手応えの半分くらいしか僕には伝わっていないんです。プラネタリウムに寝転んで“体験”しないと感動が半減してそうなMVでした。


事実として、過去2回のコラボMVと比べれば明らかにインパクト不足です。暇を持て余して意味もなくズームしてる瞬間とか結構あるじゃないですか。『月曜日』との被りを避けたのか、到底追いきれる訳のないタイポグラフィー祭り(4年前から嫌ってる手法)にもなっていますし。

構図が似ている「末法独唱 雨天決行」は定点カメラでも差し支えないくらい映像が暴れていたし、要所のズームも有意義だったと思うんですけど、なんだか今回は圧倒的に地味なんですよね。

かと言ってVRに対応させるのも敷居高くてなんかキモいし、ケチをつけるのが正しいことなのか我ながら疑問を抱き続けています。


ただでさえ楽曲パワーが強大だった『1.0』が活版印刷というインパクトと意外性まで兼ね備えてしまったのが運の尽きですかね〜。あれのせいで色々と竜頭蛇尾ってる印象を受けました。

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過去のコラボ曲と比べてどうだった?


後半戦です。誰かに読んでもらうには後ろめたかった部分を後ろに持ってきました。投稿が遅れた原因のほとんどでもあります。

dalek-amz.hatenablog.com

ただ一つ言えるのは、僕の中での新曲のハードルがかつてないほどの高さを誇っているということ。期待に応えられても応えられずとも僕の心は死んでしまうので、とりあえず明後日の僕は何かしらの感情でバーストしていると思われます。


『命にふさわしい』『月曜日』に次ぐ相思相愛コラボとして遠慮なく期待しまくっていた今回の新曲ですが、結果的に『カシオピア係留所』は僕の期待を下回ってしまいました。

今までと違って原作を先に読んでしまったので、“読む前”の感想を僕は知りません。しかし、本来なら感動が増幅されているはずの“読んだ後”に僕は「?」を感じています。

確かに「完全に負けたと思った。」なんてコメントもありましたが、あれは先方を褒め称えるリップサービスというだけでなく、本当に保険をかけていたのかもしれません。(失礼)


とはいえ数ヶ月聴き込んでいれば冷静になるもので、何が僕にそう思わせたのか、カシピが(個人的に)期待外れだったと感じる要因を整理してみました。



①ハードルが高杉晋助(超究極)

そもそも、毎回こんなにも新曲が聴ける瞬間を待望しているのは後にも先にもamazarashiだけです。特にこの6月は“元気な秋田さん”が延期されたばかりで、残された新曲はもはや僕らにとって希望の光でもありました。

さらに往復書簡プロジェクトの先陣を切っていた『1.0』で、僕は眠れなくなるほどの衝撃を受けています。そんな曲が(プロジェクト上は)序章に過ぎなくて、\3ヶ月後に本命が待ってます‪‪!/‬なんて言われたら、相思相愛コラボへの信頼も相まって死ぬほど期待するに決まってるじゃないですか。


書き下ろしの絵本や新エピソードなど、分かり易く“相思相愛”だった『命にふさわしい』『月曜日』と比べると、今回はどこか熱量を感じづらいコラボだったと思います。それに相当する魚豊先生からの贈り物も『1.0』で使い果たしているし。

先程同様の比較として「〇週間でデモが送られてきて〜」といった熱量アピールも今回はありませんでしたし、ひょっとしたら満足いくものが完成する前に納期が訪れてしまったのではないかと邪推する始末です。

これらもある種ハードルの高さであって、今まであったものが欠けてしまうことで感じる物足りなさは実力で埋めてもらう他ありませんでした。

つまるところ「前が良すぎたから仕方ないよね〜」で済む話ではなく、シンプルに楽曲の力不足だった側面もあったんじゃないかと僕は感じています。命や月曜日を初めてフルで聴いた衝撃と比べても絶対的な違いがありましたもん。


②作品が意外と反映されていない歌詞

読者となり凝視すれば、この楽曲は「チ。」の名言や名シーンがほとんど反映されていません。薄っぺらいは流石に言い過ぎですが、あくまで氷山の一角を曲にしているというか。

例えば「世界を滅ぼすに値するその温もり」なんてゲームを結構進めないと真意の分からない歌詞でしたし、月曜日のラスサビもクライマックスまで読んでいる前提の内容でした。

片やカシピは「チ。」を第1集まで読んでいれば、曲中の言いたいことが概ね理解できちゃうと思うんですよね。キャラの数だけ地動説を繋ぐ意志や決意などが存在するはずなのに、それらがひとまとめにされているように感じませんか。(そこを目指す前提だったんだろうけど)

自分の手で「地動説」を物にするぞ!なんて私利私欲をほぼ全員が秘めているのに、結局最後は「伝える(託す)」ことを選んじゃう。揃いも揃ってそんなツンデレキャラばかりなのが良いところでもあるのに、曲中で語られる葛藤はまるで歴史の教科書から引用した程度の温度感なのです。他人事〜!


じゃあそこを掘り下げずに何をやっているかと云うと「この痛みだけは彼らと似ている」です。

命にふさわしいや月曜日では歌詞から感じ取れていた登場人物達の苦悩や感動が、この『カシオピア係留所』では“自分語り”にかき消されているように思えてなりません。サビやCメロの美味しいところは「痛み」が完全にかっさらっています。それが秋田さん達にとっての「最初の武器」でも、彼らにとってのそれは本来「好奇心」であるはずです。

秋田さんはテーマソング路線が「無理だと思った」のでamazarashiとの共通点を歌うに至りました。そしてその秋田さんが諦めた部分こそが僕が足りないと思ってる部分なのでは、という詰み状態に気付いてしまったのです。一番悲しい結論😢


この抽象性が「実はアニメ用にもう1曲書き下ろしてました!」という逆転劇のフラグだとしたら、その時に手のひらは返すと思うんですけど、それはそれで再びMVにシワ寄せがきて大変そうなんですよね〜。


③歌詞構成について/Cメロの不在

AABサビABサビAサビ。『穴を掘っている』のような3番Aメロで張り切る曲を別種とするなら、恐らくamazarashiでは初となる構成となっています。

3番がタイトルを歌ってラスサビに繋がるのは『命にふさわしい』と同じですが、雰囲気をガラッと変えるCメロが用意されていなかった分、楽しみ方のバリエーションでは過去2曲に引けを取っていると言えるでしょう。

とりわけ“amazarashiのCメロ”は一部ファンに神格化される程の力作揃いで、『命にふさわしい』の最終奥義感があるのも、『月曜日』の爆発力の要ともなったのも、他でもないCメロでした。

むしろ主要タイアップ曲でCメロ不在だったのは、後述の『たられば』のみです。(なのに神曲)


カシピが良く言えば通奏低音、悪く言えば脇役みたいな曲だと感じるのは、全体を通して同じようなテンションで進行しているから。

「心さえ!心さえ!心さえ!なかったなら!」
「それが君で!おそらく僕で」

こんな風に気迫グサグサのフレーズが果たして『カシオピア係留所』にあったでしょうか。常時ゆったりまったり進行で“いい曲”に成り下がっていませんでしたか。


単調さを脱却すべくメロディアスを模索していたのは分かるのに、皮肉にも僕が抱いた感想は「なんかあんまり盛り上がってないなー」なのです。

最たるは、(必ず死ぬと書いて)必死に地動説を完成・証明しようとする登場人物達の熱量が、この曲からはほとんど伝わってこないのが原因でしょう。通奏低音≒間接的っぽくなるのは必然なのかもしれないですけど。

物語の「それでも」が詰め込まれているのはほとんどBメロのみで、Aメロはオリジナルの雰囲気作り、サビも結局「この痛みは共通言語だ」を言いたいだけです。

何より『カシオピア係留所』には、「ああ!知りたい!信じたい!」といった理想・真実への衝動や死・否定への恐れや不安、いわゆるパトスが圧倒的に足りていません。原作が憑依していない、とでも言うべきでしょうか。ほんとはこの破壊力がサビ毎に欲しくないですか。(元の哲学サビはCメロになれそう)

MVに丸投げして未読勢を置いてけぼりにしていた「?」も、静かに燃える感情の一種みたいなもんです。「この疑問は共通言語だ」などの歌詞違いをねじ込んだら良かったんじゃね?…ってのは安直すぎるとして。

他にも原作にベラベラ喋るキャラが多い点とか、それこそお経メロディなりポエトリーリーディングなりがあっても良かったように思えますが、何がどうなってメロディアス全開路線になったのでしょう。ぜーったい作品の割に曲調が明るすぎると思うんですよねえ。


『1.0』がコラボ曲として既にしっくり来ていたのは、歌詞のシンクロ度以前に、サビで畳み掛けてくるという曲の構成自体や、それを通じて伝わってくる様々な感情がどことなく「チ。」と似ていたからだと思います。

2連チャンで同じ手法を取るのもつまらないという反論はありかもしれませんが、僕はコラボ曲くらい盛大にぶちかましてくれよと思う派です。


④メロディ作りの迷走

メロディの話は長いですよ〜。

端的に『カシオピア係留所』は良く言えばスルメ曲、悪く言えば覚えづらいメロディをしていました。(ここまでは異論も無いはず)

展開を予想できるほどチープという訳ではありませんが、それを裏切るにあたって意外性ではなく覚えづらさが残ってしまったような印象を受けます。

直近にリリースされた「七号線ロストボーイズ」の収録曲は地味・派手の差こそあれど、そのメロディには等しく個性が詰まっています。僕に言わせれば『カシオピア係留所』のメロディは過去一つまらんその神アルバムと比べりゃ全敗レベルで、秋田ひろむが歌っているから最低限いい感じに聴こえてるだけ、とさえ思っています。

何より今作は「チ。」がメディアで取り上げられる度にBGMとして流れることになるでしょう。プロモーションを担う楽曲が“そっち”に分類されるなんてあってはならない事だと思います。


メロディの重要性を痛感したテノヒラクルーエピソードを思い出しました。『馬鹿騒ぎはもう終わり』『鴉と白鳥』の2曲は、秋田日記に歌詞が公開された時点では「はいはい、いつもの秋田さんっぽいやつね」という印象止まりだったのが、メロディが付いたものを聴いた途端にとんでもなく心打たれてしまったのです。

どうやら歌に乗せたメッセージは、案外その曲調によって大きく印象が変わってしまう程フニャフニャな存在のようです。amz界隈でも『めざせポケモンマスター』とか有名じゃないですか。歌詞の説得力を生かすも曲げるも殺すもメロディ次第ということです。


『カシオピア係留所』は全体を通してなにやら楽しげな空気が流れていて😊、秋田さんの歌い方含めどこか他人事(≒通奏低音)っぽくもあり、はっきり言ってあのジャケ写ほど心酔するような情景は浮かんできません。

例えば「ねえ二度と泣かないように 君を脅す君にとどめを刺して」なんて迫真のメロディでこれ以上ないくらい訴えかけられるじゃないですか。このフレーズを『世界に一つだけの花』のサビで歌ってみれば、僕がカシピに抱いている印象も割と伝わるんじゃないかと思います。

とどめを刺して

とどめを刺して

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TPOこそどうかと思いますが、僕は「amazarashiの楽曲が段々明るくなってる問題」にはめちゃくちゃ肯定的です。昔の曲はどれを取ってもAメロ全部“お経”だったのが、最近は段々と高音も交えられ十曲十色になってきました。

わかり易くメロディアスさの指標となるのはやはり“高低差”でしょう。僕が太鼓判をおす『月曜日』と『鴉と白鳥』を例に挙げてみます。

カシピが1オクターブ(7音)+3音=10音なのに比べて、月曜日や鴉はどちらも2オクターブ+1音=15音という広さを誇ります。聴きどころが上から下まで幅広い分、メリハリがあり飽きづらい楽曲となっています。
(書いてるうちに探究心が湧いたので後日全楽曲調べます。)

特に月曜日のCメロなんて凄いですよ、約40秒でlowG(なりたかった)からmid2G(それが君で)まで2オクターブの大冒険です。そりゃあ心抉られるわ。

youtu.be

良く言えば通奏低音、悪く言えば脇役みたいだと感じるのは、全体を通して同じようなテンションで一貫しているから。

↑を書いてる間に“同じようなテンションが一貫している”のに神曲だなぁと思い出したのが、さっき後述すると言った『たられば』の存在でした。

カシピ同様にフレーズ間の余白が多く、ぶつ切りにした良メロを配置したような造りをしています。韻もあまり踏んでいません。そう考えると、実は『カシオピア係留所』は“Cメロが無い”というよりも“Bメロがある”と表すのが正しいのかもしれません。

そして狭めな音域にも関わらず明確にメロディアス属性である点。音域はほぼ互角ですが『たられば』の勝因となっているのは、Aメロを殆どド・レ・ミ・ファの4音に留めて、サビでのみ非和声音や裏声高音を解禁することによるメリハリ映えだと思います。

カシピもAメロの狭さは負けていませんが、Bメロで既に最低音〜準最高音まで音域が拡張されており、非和声音も全体を通して擦りまくっているので、サビの目新しさが最高音hiAのみでは解放感に欠けるのも無理はないでしょう。なんなら曲調すら“いつものフォーマット”ですし。(後述)

「係留所の灯りの下」「その痛みは共通言語だ」に共通する「ド→レ#→レ→ド→ラ#→ド」という非和声音ムーブは、もちろん意図的に繰り返されているはずですが、どうも僕にはわざとらしく映ってしまっています。Bメロだけなら丁度いいアクセントだと思うんですけど…。

ずっと似たようなテンションで、誤魔化しが利きやすい“疾走感”とも対極にある曲調、そりゃあMVも単調になりますよね。僕がずっとCメロの必要性を感じているのも、要するに楽曲にメリハリが欲しかったってことなんだと思います。


もう一つの大きな相違点が、ロングトーンが印象的なサビをどう使っているかという点です。「もしも僕が〇〇だったなら」の箸休め(実質間奏)として割り切っているたらればと、最も伝えたいメッセージが込められているカシピとでは楽曲内での重みも全く違いますよね。

『たられば』はサビ毎にスネアドラムやピアノによる別リズムが投入されていて、今何番を聴いているのかが明瞭になると同時に、楽曲全体のメリハリングにも一役買っています。カシピはそれに比べれば地味めな変化で、サビ毎に何がどう変わっているのか気付かない人が大半でしょう。

そんな変わり映えのしないサビが結構な尺を取っている上、『1.0』ほどに全く異なる歌詞が詰まっているわけでもないので、言ってしまえば退屈に感じる要素がいくつも重なっているのです。

たられば

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編曲繋がりだとラスサビの入り方も結構引っかかっているんですよね。奇を衒らわなきゃ!という使命感からとりあえず演奏ストップしたんだろうなあって思っちゃいます。こういう曲調こそアコギで静かに落ちサビとして弾き語るのが似合いそうなもんでしたが…。

『帰ってこいよ』と違って秋田さんのブレスがちゃんと聴こえているのは良かったです。


⑤メロディ作りの癖

“いつものフォーマット”がいつにも増して散見されてる気がしたので、長すぎる④から切り離しちゃいました。

最高音を含む「取り戻」の4音が世界の解像度Cメロ「(これから始まる君の)手ーえーえーえー」と同じ音程だな〜ってのは置いといて、

5ヶ月前の「『空白の車窓から』も『ロストボーイズ』もMVあるんだ!?」にて、『世界の解像度』と『空白の車窓から』の最高音ムーブが酷似してるなぁという小言をねじ込んだのですが、言ってるそばからカシピでも全く同じムーブが再利用されていました。どうりで今回「あ、hiAだ!」って一撃で気付けた訳だ。

「(君の)手ーえーえ↑ーえー」
「(もう)取ーりーも↑ど(せない)」
「(消えた)りーしな↑くてー」

「ソ→ミ→ラ→ソ」の被りが2020年末から怒涛の3曲目です。元を辿れば『ナガルナガル』のCメロで沢山聴いた気もしますが、ここで重要なのは短期間でやたらと流用されているという点。

過去には『百年経ったら』→『夕立旅立ち』→『空洞空洞』の最高音への運び方が似ているトリオや、『たられば』→『月曜日』→『ロングホープ・フィリア』の非和声音トリオも存在しました。数年で3曲までならセーフというマイルールでも定めてるんじゃないかってレベルです。

武道館ライブの萎えも何割かは「虚無病」とのセトリ使い回し感に起因していたので、少なくとも僕という人間は“それ”に気付くことを嫌っている節があるようです。なんにせよ、一番の聴きどころをコンパチで済ますなら、それを補って有り余るようなパワーが欲しかったと思います。


あとは秋田さんの作曲癖で最近気になるのが『スプリンター』のサビと似ているメロディの頻出です。マスクチルドレンや境界線にもいたんですよね。「いっそ書きとめて〜結露した〜窓を擦って覗くように〜」が頭の中に流れていたくらいなので部分的にくっそ似てるのは間違いありません。揚げ足を取りまくれるほどの完全一致は滅多にありませんが、今後もこのメロディラインは定期的に感じ取ることになりそうです。

個人的にもう一つ、スプリンターとカシピにはサビメロの違和感も共通しています。サビだから盛り上げなきゃ!って張り切った割にすぐに展開を畳もうとするところとか。これまた感覚的なクレームで申し訳ありませんが、こんな風に人工的に感じるってことは、秋田さん的にもスっと降りてきたメロディではなかったんじゃないかと睨んでいます。メロディーラインのスカスカ具合を見れば流石に詞先ではなさそうですけどね。(矛盾)

スプリンター

スプリンター

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さいごに


実は“秋田さんの歌”自体にまともに不満を抱くのは今回が初めてで、我ながらまあまあショックを受けてしまいました。このネガキャンだけはどうも気が重くて、それこそサボり期間のほとんどはこの記事の推敲を重ねるばかりで。

しかし、そういう気持ちも言葉にするべきだとブログ名に誓った以上は踏み切らせていただきました。

マイナスを語る時ほど饒舌になるのだけは勘弁してほしいですけどね。本当に感動した時に限って語彙力を失ってしまうというのに。


前半部分に詰め込んだ通り、『カシオピア係留所』に褒めるべきところは沢山あります。お風呂で毎日口ずさむ程度の噛みごたえは感じていますし。

何より僕の期待が理不尽なくらい高かったのが最大の要因です。世間一般の評価はきっとMVの再生回数が教えてくれていると思います。

ちなみに書いてて一番思ったのは、秋田さんのナレーションでプラネタリウムを鑑賞してみたいってことです。


ここまでブラウザバックせずにお付き合いありがとうございました。出したい記事がグリドロックかましているので今月中にまた更新します。