雨曝しな気持ちは言葉にするべきだ

雨曝しな気持ちは言葉にするべきだ

amazarashi大好き系ブログ

【解決済み!】『僕が死のうと思ったのは』の映像がamazarashi公式チャンネルに無いのは死活問題なのでは?

追記(2023.10.13):騒々しい無人の映像化おめでとう!

youtu.be


こんばんは、ダーレクです。


今年1月に横浜流星SUGEEEEEEEとなって以来、彼の出演する映画は欠かさず観に行くようになりました。有名俳優をほとんど知らずに生きてきた僕にとって、色んな人の顔と名前を一致させる良い機会になっています。

dalek-amz.hatenablog.com

そんな中、先月公開された「線は、僕を描く」には、なんと役者界のamazarashiファンとして横浜流星さんと双璧をなす(と勝手に思っている)清原果耶さんもヒロイン役で出演されているではありませんか。

女優としては初見でしたが作品内での振る舞いもドキッとするほど良かったので、今後は彼女の出演作もチェックしてみようと思います。

てか今やってるドラマもHuluで観れるんですね。話が早くて助かります。

www.ntv.co.jp


そんな清原さんが2月に地上波で『僕が死のうと思ったのは』の魅力を熱弁したのは有名な話ですが、こうして同曲が大々的に取り上げられる度に「果たしてamazarashiはこのビッグウェーブに上手く乗れているのだろうか?」という疑問を抱いてしまいます。

なんてったって僕死はamazarashiでもトップクラスの代表曲であるにも関わらずMVを持たない曲ですからね。


「amazarashi 僕が死のうと思ったのは」で検索してみる

↑サブアカのピチピチな検索結果↓

1. 非公式
2. 非公式
3. 中島美嘉TFT
4. amz季節TFT
5. 非公式
6. 非公式
7. 非公式
8. 非公式
9. 中島美嘉MV

以下、amazarashiの別曲MVや僕死のcoverなどが続きます。

ミリオン超えの動画も平気で量産されているので、もし「虚無病」のタイミングでOfficial MVが公開されていれば、今頃1000万回再生も夢じゃなかったと思うんですよね。それこそシンプルなリリックビデオでも十分だったわけで。


ファンの間でもテレビでも事あるごとに絶賛されていて、もはや“隠れてない名曲”でしかない僕死の映像が、発売前でもないのにろくにYouTube上に存在しないなんて…!

秋田さんやスタッフの方々もその需要には気付いているはずなのに何故この状況が続いているのか、そういえば“THE FIRST TAKE”の選曲でも似たような事を考えたことがあります。


中島美嘉さんへの配慮なのか

dalek-amz.hatenablog.com

そしてこの曲(僕が死のうと思ったのは)が選ばれなかった理由も同じく、中島美嘉さんに関係しているんじゃないかと思います。彼女の出演が既に決まっていたかは定かではありませんが、決まってなくとも秋田さんなら無意識に譲っていそう。被ったら数字は取れそうだけど先に潰すのは失礼になっちゃうかな?みたいな。

amazarashi名義で僕死のMVやライブ映像をYouTubeに上げないのも、似たような事情があるのかなぁなんて勘ぐっちゃいます。


どれだけ掘り下げても僕が行き着く答えは変わらず「提供した楽曲だから遠慮してる説」が濃厚です。

THE FIRST TAKEを譲るなら当然、MVで再生数バトルを仕掛けにいくはずもなく、やはり基本的には中島美嘉ファーストのスタンスがあるように見受けられます。(この理論だとIs菅田将暉アウトオブ眼中…?)

TFTも今思えばスタッフさんが予め候補を選ぶ段階で見送られていた可能性すらありますね。出演時期はamazarashiと半年違うのでこの時点では色々と未定だったのでしょうが、なんなら「どうせいつか中島さん呼ばれて僕死歌うことになるだろ!(自信満々)」って共通認識があったとか。


実際、中島さんがTHE FIRST TAKEで歌った『僕が死のうと思ったのは』は『雪の華』を超える伸びを見せています。僕もぶっちゃけこの逆転現象は予想外でした。MVどころか僕でも昔から知ってたあの代表曲の数字を超えてしまうなんて。

しかし改めて聴いてみても、ああいうしっとり聴かせるスタイルが僕死にはマッチしているなあと痛感させられますね。amzで言うところのStarlight Ver.的なアレンジがマジで沁みます。

amazarashiにしてもあの曲は弾き語った方が好評なことが多いため、どうしてもこの好機を逃したことは勿体なく思えてしまいます。もっかい呼ばれて前代未聞の同曲出演を見せてくれ〜。

youtu.be


とはいえ、amazarashi側も完全に譲ったかと言えばそういう訳ではなさそうで。

『僕が死のうと思ったのは』は2012年のツアーでデモ音源が流された経緯こそあれど、世間一般には中島美嘉さんへの楽曲提供という形で正式リリースされました。

しかし「合うだろう」と思って楽曲提供したは良いものの、手放したものが魅力的すぎるあまり秋田さんにも未練が見え見え隠れ見え見えしていて、翌年のツアーで早速弾き語ってみせたり、セルフカバーを果たしてからは完全にライブ常連曲と化しています。(とりわけ海外公演では皆勤賞)

ベストアルバムへの収録や地上波での弾き語りも、「僕が死のうと思ったのは = amazarashi」という既成事実を裏打ちせんとする気概を感じます。秋田さん…ダメ…僕死が裂けちゃう!


秋田さんが生みの親なら、中島さんが育ての親。彼女の影響力が無ければ折角リリースされても『終わりで始まり』の2代目ポジに落ち着いていたかもしれません。(表題曲蹴落としてベスト盤入った割に活躍不足という意味で)

ただ、結局秋田さん自らの手でも育て始めちゃったことで「どちらの曲でもある」というややこしい立ち位置になってしまいました。男声のお手本が爆誕したおかげで、歌番組や有名アーティスト含めカバーが男女で棲み分けできるようになったのは良いんですけどね。


映像化だけしてもファンしか観れないぞ


曲ごとの映像化された回数を調べてみたところ、僕死は「anthology 1386」「虚無病」「理論武装解除」「新言語秩序」「MIDNIGHT SONIC」の計5回、百戦錬磨のいつメンに紛れて3位タイに入賞していました。

dalek-amz.hatenablog.com

正式リリース以降の勢いも然ることながら、これを通して僕が言いたかったのは「そんだけ映像あるなら少しくらいうpしてくれても良いじゃんか〜」ということ。

ワンマンライブの開催というのはある意味ファンサービスの域で、0を1にするには何よりもまずamazarashiの破壊力を沢山の人に知ってもらわねばなりません。


現状、YouTubeではトレーラーやティーザーで何度かチラ見せされているくらいで、amazarashi版の僕死をフルでタダで合法的に聴ける手段は用意されていないんですよね。

僕らはどっちにしろフラゲ日や0時ピッタリに聴くので関係ありませんが、amzどハマりへの第一歩を踏み出したばかりの人々は、まず初めにYouTubeでMVやライブ映像を観漁るはずです。

そこに自慢のキラーコンテンツを忍ばせていないのは明らかに損じゃないですか。ただでさえ「amazarashi 僕が死のうと思ったのは」から恋が始まる可能性は高いんですから。


冒頭の通り、今のYouTube界には非公式動画が跳梁跋扈しており、中には7ヶ国語に翻訳されているような愛に溢れたものまで存在します。

故に初めましてでも「なんの成果も!!得られませんでした!!」ってブラウザバックすることはないでしょうが、よりによって僕死にオフィシャル受け皿が存在しないのはやはりモヤモヤしてしまいますね。

このような拡がり方は手放しには喜べないし、そもそも本家ほどの集客力が無かったりとかライバルと数字が分散してしまうとか…。

youtu.be


これまで僕死入りで映像化されたライブのうち「虚無病」「理論武装解除」の2公演では、『虚無病』『隅田川』がそれぞれYouTubeにてフル公開されています。

ゴリゴリ表題曲の前者はともかく、当時から疑問を覚えていたのは新曲でも人気投票絡みでもなかった『隅田川という謎チョイス。メインディッシュは温存するにしても『空洞空洞』や『悲しみ一つも残さないで』が選ばれる方が自然だったはずです。

これについて当時は「花火の映像が綺麗だから(意訳)」的な説明を読んだ記憶があります。“シンプル”を追求していたライブとは裏腹に、YouTubeではきっちり動画映えが優先されていたということでしょう。

僕の価値観で行けば真っ暗闇で秋田さんが弾き語っているだけの僕死が選ばれる可能性の方が高かったのにーー。


もちろん『隅田川』もまた、昔からファンに愛され続けている1曲なのは心得ています。事実としてamzライブ映像の中ではずば抜けた再生回数を誇っているので、これはこれでかなりの英断だったのでしょうね。

youtu.be


他のライブでの僕死もそれぞれ違った魅力を持っていて、テレビ番組を例に挙げるだけでも各々のこだわりが垣間見えてきます。

ヒャダインさんの時はシンプルに最新のライブ映像である「新言語秩序」から拝借していましたが、清原さんの時に使われたのは何故か6年前となる「虚無病」の映像でした。映像を使わないカットですらCD音源よりライブ音源の方が多用されていた印象です。


そんな中でナンバーワンを決めるにしても、先述の動画映えを意識するなら武道館だし、唯一イントロのピアノが生演奏された虚無病も捨て難いし、弾き語りによる真骨頂を見せるならanthologyか理論武装解除が挙げられます。

何より声の調子ならぶっちぎりでMIDNIGHT SONICでしょう。普通はしんみり聴きたい曲なので逆に違うのかもしれませんが、あのフェスの僕死だけは鬼気迫るものがレベチでした。


と最終的に妄想に行き着きましたが、別に『僕が死のうと思ったのは』のライブ映像が公式にアップロードされる気配があるわけでもないんですよねぇ。


諸々を客観的に眺めていると、

amazarashi内での扱い<秋田さんの評価≦世間の評価

くらいのギャップを感じます。

realsound.jp

「作った時はいい曲だなとは思ってたんですけど、まぁまぁとも思ってて、いろんな人に聞かせたら『すげぇいい』って言ってくれて、そうなのかなって。みなさんに名曲にしてもらった曲だと思います。今ではわいも好きな曲です」

時は遡り「理論武装解除」のMCでは、僕死を作った当時の心境に触れるシーンがありました。円盤化された2日目よりも僕の知る1日目の方が圧倒的に長ったらしく、調べた中で最も詳細に書いてくれていたレポートが上記の引用です。

文面上は省略されていますが、この「作った時は“すげぇいい”未満だと自分では思っていた」ということの的確な言い回しが咄嗟に出てこなかったようで、文頭の「作った時は…」からポロッと「そうでもない曲」って言葉が出ちゃって(やっべ流石に言い過ぎた!)の勢いで前言撤回していたのが印象的でした。伝わってますかねこの文章。

当時はまだ僕死の良さがピンと来ていなかったのもあり(後述)、彼の言葉選びの沈黙には「言いたい事わかるわー」と無駄に人一倍共感しておりました。


今はバンドとして大事な曲なのも伝わってくるし、もっと大々的にプロモーションされるに値すると思うんですどね。スタッフの方々は僕死のことを「なんか秋田さんがよくライブでやりたがる曲」程度にしか思っていない可能性が微レ存…?

今からでも遅くないし、これからのライブでも遅くありません。いつか何かの機会に『僕が死のうと思ったのは』が公式チャンネルで観られるようになった暁には僕のモヤモヤも成仏することでしょう。よろしくお願いします。


余談:僕死の良さが最近分かるようになってきた


この記事では『僕が死のうと思ったのは』の本質的な不遇さを憂いてきましたが、元々僕はこの曲の良さをよく分かっていない側の人間でした。当ブログでも今までろくに語ってこなかったはずですし、実は曲名の第一印象も「釣りタイトルだなぁ」だったレベルです。

まあ曲名の釣り針のデカさは裏を返せば、楽曲提供時に仰っていた「強い希望を描くために色濃い闇も描かなければならない」という言葉通りなんですよね。これは代表曲ですわ。


テレビの前で清原さんの話を聞いていたあの夜も「なるほど〜」って納得させられる側だったし、特に「“あなた”を人以外で解釈するのもあり説」は、後にぶっ刺さる『1.0』との相乗効果で僕の理解を一気に深めてくれました。この節はありがとうございました。

「どうにかなるさ」って言える あなたにとっての1が
見つかりますように 見つかりますように

僕が死のうと思ったのは まだあなたに出会ってなかったから
あなたのような人が生まれた 世界を少し好きになったよ

あなたのような人が生きてる 世界に少し期待するよ

時系列はバグってるんですけど、こうして見比べると僕死が『1.0』のアンサーソングっぽく見えてきませんか。

『僕が死のうと思ったのは』で秋田さん自身が見つけることができた“期待”、それに匹敵するものを今度はあなたが見つけられますように。

そんな風に1を読み取ってみると、どちらの曲もまた違った角度から楽しむことができるようになります。これはエモい。(語彙力活動限界)


もはや毎回言っていますが、どこを切り取っても根底には一貫したメッセージが流れているのがamazarashiの良いところです。

とりわけ僕はこうやって“生きる希望”をつついてくる歌詞には弱いので、『1.0』を歌ったamazarashiの次の一手が今から楽しみで仕方ありません。


あーライブライブ。