雨曝しな気持ちは言葉にするべきだ

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amazarashi大好き系ブログ

音楽界で支持されている“ライブ用耳栓”を使ってみたらマジで耳栓だった

こんばんは、ダーレクです。


皆さんは“ライブ用耳栓”というものをご存知でしょうか。

その名から察する通り、ライブが爆音すぎて耳に悪いので適切な音量に調整しますってアイテムで、近年はアーティスト側から着用を推奨されることも増えてきました。

僕がその存在を知ったのも、アジカンが子供の耳を守れと言ってたり、キュウソネコカミがライブ用耳栓をグッズ化していたりと、しばしばネットニュースなどで話題になっていたのがキッカケです。(一昨年くらいのノリで挙げたのに5年前って…)

https://www.tumblr.com/gotch1976/176022673172/onegai
gotch.info
realsound.jp


振り返ってみれば、僕も何度か鼓膜に危機感を覚えた経験があります。

でっかいスピーカーに砲弾発射の耳鳴りをお見舞いされた理論武装解除や昨年のCDJとか、秋田さんのボルテージが限界突破して空間がビリビリしていたボイコットツアーの『独白』や『未来になれなかったあの夜に』とか。

あのスリルを知っている身として、そりゃあ自衛するに越したことはないんだろうとは前々から思っていました。けれどamazarashiで実験するのは武道館ライブでお腹いっぱいだし、なかなか踏み出しづらかった未知への一歩。


そんな中、僕の人生で初めてamazarashiと全く関係ないライブに参戦する機会がありまして。潮時を悟った僕は、いざライブ用耳栓を購入するべくタワレコに寄り道していくのでした。

この“イヤープロテクター”とやらの使い方は簡単で、錠剤みたいなフィルターをカナル型イヤホンみたいな本体にはめて耳に装着するだけです。2300円ナリ。


ライブ用耳栓の使用感


結論から言うと、カスでした。


もちろん耳栓を謳うだけあって過剰な音圧をばっちり遮断してくれる商品ではあります。ただ、ライブにおいてはそれが致命的でした。

使用感を率直に言うなら「爆音」から「音」になるって感じでしょうか。そんなのライブじゃなくてただの4D映像作品なんですよ。

いくら音質が綺麗に保持されていようと、ライブの臨場感をばっさりカットされては本末転倒。視界の先で繰り広げられるパフォーマンスと実際に伝わってくる衝撃が乖離していて、悪い意味で夢の中に閉じ込められている気分になりました。

結局1曲目の1番のサビで耳栓を外し、その後は普通にライブを楽しみました。中の上くらいの爆音が全身に響いてくる良席でした。


音楽界が提唱する「丁度いい音量」の定義は、僕が抱くそれよりもよっぽど健康的なものだったようです。病院食が美味しくない理論と似ています。

なんせライブ用耳栓のデメリットを今まで聞いたことがなかったので、どんな魔法のアイテムなんだろうと期待しすぎていた節はあるかもしれません。そりゃあ耳を塞いだら聴力は守れるよね😅


耳に優しいライブなんてお魚抜きの海鮮丼だよ!


あのライブの冒頭1分半を経て、僕にとって「爆音」がいかにかけがえのない要素だったのかを思い知らされました。

そして皮肉にもというか当たり前というか、この耳栓の存在意義はその「爆音」を軽減して上質な残りカスを提供することだったのです。

イヤホンでさえ新曲の初聴くらいは贅沢なボリュームで迎えようってなるじゃないですか。ライブという最も特別な瞬間にそれを我慢しようだなんて、どうりで本能がブチ切れてくるわけです。


ライブの醍醐味(ハイリターン+ハイリスク)を取るか、耳の健康(ローリスク+ローリターン)を取るか。

お金と時間をかけてライブに参戦するからには全身全霊で謳歌したいに決まっていて、そんなここぞという場面で有毛細胞をケチって後者を選ぶメリットは僕には見出せませんでした。


ただしスピーカーの真ん前だけは狂気の沙汰なので、問答無用で耳を守りましょう。


なんやかんや僕も今後参戦予定のライブやフェスには一旦持参する方針でいます。少なくとも健康寿命が尽きるまでは聴こえる耳でないと困りますからねぇ。