雨曝しな気持ちは言葉にするべきだ

雨曝しな気持ちは言葉にするべきだ

amazarashi大好き系ブログ

『ブラックボックス』を“2Bの歌”と公言するLiSAと秋田ひろむは何を想っていたのか?

こんばんは、ダーレクです。


今月21日、TVアニメ「NieR:Automata Ver1.1a」第2クールのOP曲として、amazarashiがLiSAに楽曲提供した『ブラックボックス』が先行配信どころか本リリースされました。

今までにない音域で秋田節を味わえる新鮮さと、当たり前すぎて逆に気付かなかったLiSAさんの歌唱力を噛み締める日々を過ごしています。

youtu.be

しかしながら、同曲について「予告PVの頃から引っかかっていて、フル音源を聴いてもなお解消されなかった疑問」が存在していました。

記事の都合上、ゲーム・アニメ両方のネタバレを織り交ぜている点にはご注意ください。


ブラックボックス』は2Bの歌らしい


あくまで秋田さんの言葉として歌ってきた『命にふさわしい』『アンチノミー』から更なる進化を経て、ニーア3曲目の書き下ろしとなる『ブラックボックス』は今まで以上に登場人物が憑依したような視点で歌詞が紡がれています。

結論から言えば「2B視点で作ったよ/歌ったよ」と秋田さんもLiSAさんも言及しているのですが(後述)、それは僕が楽曲から受け取った第一印象とは全く異なるものでした。


ダーレク「えっ、9Sの歌じゃないの?」


事の発端は5月末、第2クールの予告PVにてOP曲『ブラックボックス』のサビが初公開されました。

youtu.be

この時点で「壊してくれ その腕で」「何度でも名を呼んで」「知りたかった 君の笑顔、湧き出す場所」「あらゆる悲しみは星を目指す」、聴こえてくるフレーズ全部9Sだ!とウッキウキのお猿さん。


ところが、同日に公開された秋田さんのコメントに書かれていたのは僕の予想とは大きく異なる内容でした。

x.com

LiSAさんの歌声で、2Bが見る無情な世界の情緒と感傷がより彩度を増して表現できたと思います。


????


9Sじゃないの……?


「2Bが見る世界」と言われたら「2B視点ですよ」と受け取るに決まっていますが、まだこの段階では深読みの余地がありました。

ずばり「(曲中に含まれる)2B関連のフレーズは、(わいが歌うより)女性が歌った方が説得力が増すよね」と言っている説。全部が全部2Bについて歌っている訳でないのなら、特に矛盾は生じていません。


と思いきや、そんな僕の深読みを潰しにきたのがLiSAさんのインタビュー。

こちらでは『ブラックボックス』が“2Bの歌”である前提で、レコーディングのエピソードが語られています。

www.billboard-japan.com

歌詞を読んでいるうちに、私の知らない2Bの気持ちが伝わってくる感覚があって。最初はそこを手掛かりにして、2Bを背負いながら自分なりに解釈して歌おうと思ったんですよ。


歌詞を読むと2Bの気持ちが伝わってくるそうです。

つまり、歌詞には2Bの気持ちが書いてあると思われます。


しかも記事内では2B以外の名前が挙がっておらず、この文脈ではブラックボックス』は全面的に2Bの気持ちを歌っていると解釈せざるを得ません。百歩譲っても半分以上が2Bでないと「2Bを背負いながら」という表現にはならないでしょう。

強いていえば「大好きな作品」だとコメントしているLiSAさんが「私の知らない2Bの気持ち」という言い回しをしており、むしろ誰でも気付くあからさまな描写ではないと仄めかしているようにも見えますね。


OP映像「えっ、9Sの歌じゃないの?」

youtu.be


ストーリーの展開も相まってか、今回のOP映像ではガッツリ9Sに焦点が当てられています。

「スペースシップ=方舟」「思い出に触れてくれるな=ブチギレ9S」など、歌詞から想起させられるシーンにこれ以上のものは無いだろうと思わされるシンクロ率。

ひとまず僕からすれば「(“9Sの歌”として)完璧に近い」と感じる映像です。

これも全て秋田さんが本来意図したものではなく、究極的には解釈違いということになるのか…🤔


この辺りが最大の謎すぎて詰まっていたところ、シングル盤リリースに伴って更なるインタビュー記事が投下されました。

news.yahoo.co.jp

作品側からの秋田さんへの信頼がとても厚くて。なので、アニメサイドからのオーダーも“9S(ヨルハ九号S型)”の気持ちを歌ってくださいということ、「あとはより深く知ってくださっている秋田さんにお任せします」という感じでした。

www.animatetimes.com

――アニメの制作サイドから、オーダーはあったのでしょうか?

LiSA:秋田さんが楽曲を作ってくださるならお任せします、というメッセージをいただきました。


アニメ「“9Sの歌”を作ってください」
LiSAさん「わかりました」

LiSAさん「って言ってましたよ秋田さん!」
秋田さん「わかりました」

LiSAさん「秋田さんに作ってもらいます」
アニメ「ならあとはお任せします」


時系列をまとめるとこういう感じでしょうか。

秋田さんにバトンが渡ったことでアニメ側から追加の口出しもされず、最初の「9Sの気持ち」というキーワードのみが伝わっていたことになります。アニメサイドの「お任せします」は、流石にそのオーダーすら取り下げた訳ではないでしょうし。

そこに「9S要素はアンチノミーでやったからなぁ」と、秋田さんの独断で2Bのだまし絵を仕込んじゃったのがこの食い違いの真相でしょう。仕事と遊びを両立する秋田さんの才能と冒険心に乾杯。

あえて最初から2Bの名を挙げたのは、そうでもしないと9Sのイメージに全部持ってかれてしまうことを懸念したからと思われます。折角作ったからには気付いてもらいたかったんですね。笑


歌詞、再考


解釈の自由があるのは大前提として、作詞者がある種の模範解答を仄めかしたからには、それを知り尽くしたいと湧き出すのが好奇心。

ただし「作者の気持ちを答えよ」には「作者本人に聞けよw」と思いながら育ったのが響いており、滅茶苦茶な時間を要してしまいました。

公式英訳を再翻訳してみよう(余談)


秋田さん公認かは不明なものの、少なくとも歌詞の文法を整理してくれる重要参考人です。視野を広げてくれる一面もあれば、意味が一つに限定されてしまう歯がゆさもあるんですけど。

例によって「どういう表現をしたか」に主眼を置いているため、部分的にキモい訳し方を採用しています。

Spaceship, it left me behind, there was no one left, except the shadows that fell on the stars
(スペースシップ、それが僕を置いてった、誰も残らなかった、星に落ちた影以外は)

Spaceship, we've made a mistake, I just wanted to hug you on this unbreathable night
(スペースシップ、僕ら間違った、息も出来ないこの夜に僕はただ君を抱きしめたかった)

I saw the meteors Emotional fall similar to its gravitation
(僕は流星を見た 感情自身の引力に似た感情の落下)

Don't touch the memories that are worth more than this body
(この身以上に価値のある思い出に触れるな)

Destroy me with those arms, call my name as often as you like
(その腕で僕を壊して、何度でも僕の名前を呼んで)

With the flashback, with the flashback,
(フラッシュバックで、フラッシュバックで、)

I can't see anything anymore
(もう僕は何も見えない)

I didn't know, I wanted to know, your smile and where it pours out from
(僕は知らなかった、僕は知りたかった、君の笑顔及びそれが湧き出す場所を)

With the black box, with the black box,
(ブラックボックスで、ブラックボックスで、)

A few more touches, but it's still far away
(あとほんの少し、けれどまだ遠く離れている)

Every sorrow aims for the stars
(あらゆる悲しみは星を目指す)


Spaceship, this silence hurts, smile if you can and give me an ordinary good-bye
(スペースシップ、この無音が痛む、出来れば笑って何でもないさよならを頂戴)

Spaceship, I made a mistake again today, change my destiny with any trick you can think of
(スペースシップ、僕は今日もまた間違った、君の思い付くあらゆる手口で僕の運命を変えて)

Even if everything disappears, the orbit is moved by the loss
(全部消えても、軌道は喪失によって動かされる)

I have things that I don't want to forget, even if they are dirty
(僕には忘れたくないものがある、それらが汚れていようとも)

Destroy me with those arms, call my name as often as you like
(その腕で僕を壊して、何度でも僕の名前を呼んで)

With the flashback, with the flashback,
(フラッシュバックで、フラッシュバックで、)

I can't see anything anymore
(もう僕は何も見えない)

I didn't know, I wanted to know, your smile and where it pours out from
(僕は知らなかった、僕は知りたかった、君の笑顔及びそれが湧き出す場所を)

With the black box, with the black box,
(ブラックボックスで、ブラックボックスで、)

A few more touches, but it's still far away
(あとほんの少し、けれどまだ遠く離れている)

Every sorrow aims for the stars
(あらゆる悲しみは星を目指す)


One by one, the stars went out and each time they went out, it got darker
(一つ一つ、星々は消灯してそれらが消える度、暗くなった)

Memories, friends, wishes, and you, too
(思い出、友達、願い、そして君も)

Spaceship, take me with you, don't leave me alone in this space
(スペースシップ、僕も連れてって、この場所に僕を一人にしないで)

Spaceship, even if I shout my regrets, my loneliness trembles in the night sky
(スペースシップ、僕の後悔を叫んでも、僕の孤独は夜空に震えた)

Kill me with those arms, call my name as often as you like
(その腕で僕を殺して、何度でも僕の名前を呼んで)

With the flashback, with the flashback,
(フラッシュバックで、フラッシュバックで、)

I can't see anything anymore
(もう僕は何も見えない)

I didn't know, I wanted to know, your tears and where it pours out from
(僕は知らなかった、僕は知りたかった、君の涙及びそれが湧き出す場所を)

With the black box, with the black box,
(ブラックボックスで、ブラックボックスで、)

A few more touches, but it's still far away
(あとほんの少し、けれどまだ遠く離れている)

Every sorrow aims for the stars
(あらゆる悲しみは星を目指す)


「A few more touches, but it's still far away(あとほんの少し、けれどまだ遠く離れている)」は原文からの激変もあって解釈が難しかったですね。

どうやら「a touch」が「あと少し」を意味するそうで。「触れる」と言わずに面影だけ残して本質だけ訳すのオシャレすぎるだろ。

直球ならではの味わいを持つ「Don't touch the memories that are worth more than this body(この身以上に価値のある思い出に触れるな)」や、「こんなところ」を「in this space」として「宇宙」を匂わせてくるのも好きでした。


反対に引っかかった部分でいうと「your smile and where it pours out from(君の笑顔&それが湧き出す場所)」が筆頭。「where your smile pours out from(君の笑顔が湧き出す場所)」で事足りるはずなのに、何やら複雑な言い回しをされています。

恐らく読点で分断されているのを見て別々にカウントしたと思われますが、こればかりは音数調整で助詞を削っただけじゃないですかね。2つ挙げて片方だけ婉曲的にするのは、なんというか秋田さんの手法ではないと感じます。


「I have things that I don't want to forget, even if they are dirty(僕には忘れたくないものがある、それらが汚れていようとも)」へのツッコミも譲れません。

原文の「汚れてしまっても」は、元々汚れていなかったものが汚れた状態に成り果てるのが醍醐味なので「even if they get dirty」の方がしっくりくる表現と言えます。(断言)


2B意識で歌詞を振り返ってみよう


9S視点で受け取りたい気持ちは山々ですが、アニメで増えたヒントも頼りに『ブラックボックス』の歌詞を全て2B視点で再考してみました。

結局のところ「2Bが9Sを処刑してきた日常」を描いていそうですねこの曲。


9Sとは異なり「スペースシップ=方舟」と解釈できないのが最初の関門でした。

恐らく役割的には「あらゆる悲しみは星を目指す」と繋がっていて、その星に悲しみ(≒祈り)を運ぶための宇宙船を空想しているのかなと。

「僕らの言い訳 どうか暴いてよ夕焼け」ならぬ「僕らの悲しみ どうか運んでよスペースシップ」みたいな。

ゲーム・アニメ共に本編中の接点はありませんが、実質的に2Bなりの方舟と言えそうです。

スペースシップ 僕を置いてって 誰もいなくなった 星に落ちた翳りを

チュートリアルやアニメ第1話の「第243次降下作戦」にて、自分以外の全機が撃墜されてしまったことを指していると思います。

「星に落ちた翳り“を”」というクソデカ行間には頭を抱えましたが、公式英訳の「星に落ちた翳りを除いて」を鵜呑みにするなら「墜落していった敵味方の残骸は残っている」という意味で考えられそうです…よね?

スペースシップ 僕ら間違った 抱きしめたかった 息も出来ない夜に

安直に考えれば、同じく第1話がまあまあ繋がっていると思います。9Sを修復する間もない感じとか。

「夜」はニーアオートマタの舞台が“昼の国”である以上、比喩表現として解釈するしかありません。僕の深読みには『ヒガシズム』の一節「世々、最小単位の死として ただ身代わりに陽が沈む」を絡めることにしました。

つまり「夜」「小さな死を迎える時」とパワー翻訳すれば、ヨルハ部隊の義体システムともつじつまを合わせることができます。

太陽が沈まずとも「白夜」と呼べる時間帯だった説:第243次降下作戦が11945年3月10日の何時何分に起こったのか調べてみたものの、有益な情報が見つからずボツに。

流星を見た 引力に似た感情の落下
この身と引き換えの思い出に 触れてくれるな

この「流星」も一意に定めるのが難しいですね。撃墜されたアンドロイド、バンカーの残骸、光のような思い出、そして涙など色んなパターンで考えました。

第1話に固執すると確かに9Sが吹っ飛ばされていますが、ここに関してはもっと雰囲気で味わうべきなのかも。

壊してくれ その腕で 何度でも名を呼んで
フラッシュバックで フラッシュバックで
もういっそ何も見えない僕は

「お願い……2B。僕は……君の……手で……」
「『ナインズ』って呼んでくれていいんですよ?」

この二大巨頭を差し置いて2Bと結びつけるのが無理すぎて、当初は9Sの言葉がフラッシュバックしている説へ逃げていました。

最終的に考えているのは「9Sへの罪の意識」「何度でも慕ってくれる温かさ」がごちゃ混ぜになって爆発している状態です。

知らなかった 知りたかった 君の笑顔、湧き出す場所

あくまで「湧き出す場所」を知りたかったのがミソ。涙はともかく笑顔自体は何度も見てきたはずなので「君の心の底を知りたかった」って意味だと思います。ブラックボックスの奥底を。

2B自身、9Sのことを全然分かっていないと自覚する描写もありますし。

ブラックボックスで ブラックボックス
触れるあと僅かな距離が遠い

本質的には「心と心で触れる、あと僅かな距離が遠い」という解釈で合っているはず。

もちろん、作中の“ブラックボックス反応”に絡めているのは間違いないでしょう。

youtu.be

一方、最初は「ブラックボックスで触れる後、僅かな距離が遠い」と解釈していました。これまた第1話が印象深いんですけど。

共に戦えたことを讃えあったはずの9Sが記憶を失ったことで、時間的距離は短くとも心理的距離は大きく引き裂かれてしまいました。

この辺に関して、今回の秋田さんは冗談抜きでダブルミーニングを狙っていると思います。なんせ9Sと2Bを両方取りに行った男ですから。

あらゆる悲しみは星を目指す

視点的にはナレーションというか、2Bの気持ちを受けて秋田さんが詠んだ詩のような印象。

スペースシップ 無音が痛いよ できれば笑って 何でもないさよならを
スペースシップ 今日も間違った 運命を変えて なりふり構わぬ手口で

これも1番の続きで、例えば「人類に栄光あれ」と淡白に去っていく記憶全消9Sに感じたことなのでは。そりゃあ今日も間違っている訳です。

暗にヨルハ計画を指しているかはともかく、9Sを壊し続ける輪廻から解放されて2人でショッピングできたら幸せなのにな〜くらいには感じていたことでしょう。

全部消えても 喪失が突き動かす軌道
忘れたくないものがある 汚れてしまっても

一行目は「途絶えた足跡も旅路と呼べ」や「僕が居なくたって回ってく世界」がよぎるし、二行目はウイルス汚染によって記憶領域を蝕まれていく2Bが思い浮かびますが、実際はまだまだ日常の延長線上にあると思うんですよね。

「記憶を消して再起動される9Sとの日々、彼を壊す罪を何度重ねてもこの思い出は忘れたくない」という温度感で受け取っています。

一つ一つ星の消灯 消えるたびに暗くなった
思い出も 友達も 願いも 君も
スペースシップ 僕も連れてって こんなとこに一人にしないで
スペースシップ 後悔叫んでも 夜空に孤独が震えて

9Sの処刑は2Bが最も孤独を感じる瞬間の一つなのではないでしょうか。アニメ第1話冒頭でも9Sを抱き抱えながら曇り空に叫んでいました。

「夜空」はあれです。叫び声が大気圏を越えたら実質夜空なので。(?)


amazarashiでも「殺してくれ」は革命的なのでは


とりわけLiSAさんに刺さっているラスサビの歌詞ですが、個人的には一定の違和感を覚えていました。

殺してくれ その腕で 何度でも名を呼んで
フラッシュバックで フラッシュバックで
もういっそ何も見えない僕は
知らなかった 知りたかった 君の涙、湧き出す場所
ブラックボックスで ブラックボックス
触れるあと僅かな距離が遠い
あらゆる悲しみは星を目指す


これまでタイアップ曲では「amazarashiとして歌っても違和感がないこと」が重視されてきました。

将来的なセルフカバーの有無にかかわらず、今回も「秋田ひろむ(amazarashi)」という名義で楽曲提供をしている以上、今までの楽曲とは一貫性を持たせていると考えるのが自然です。

「壊してくれ」ならポジティブな捉え方もワンチャン可能ですが、「殺してくれ」はもう完全に首を差し出しているじゃないですか。

生き延びる言い訳を紡ぎ続けてきたamazarashiの秋田ひろむが、ラスサビでそんなことを言い出すはずがないんですよ。

となれば『穴を掘っている』を締めくくる「諦めの悪い人間になってしまうぜ」のような、自暴自棄ながらも微かなものが込められたフレーズだと受け取る方向性で考えたいところ。

穴を掘っている

穴を掘っている

  • amazarashi
  • ロック
  • ¥255


後悔と孤独の果てに漏れ出た「殺してくれ」、そして意外と重要なのが「何度でも名を呼んで」の続投。

強烈なマイナスと何気ないプラスが共存しており、とりあえず何かをしてほしい気持ちが伝わってきます。

LiSAさんの視点をヒントにすると、「君がいないことを死ぬほど後悔している」「何でもいいから傍にいてほしい」みたいな。

最も参考になったのは『タクシードライバー』の3番「不良になる為には、まず良い人間にならなければ 家出する為には、まず家に住まなければ」という考え方。


「殺してもらうには、名を呼んでもらうには、まず君が傍にいなければ」


そういう感情の詰まった一曲だと思いました。君の涙が湧き出す場所は最後まで解らず終い。


一人称が「私」ではなかった理由


『自虐家のアリー』『独白』『アルカホール』など、これまでamazarashiは女性視点の楽曲には「私」という一人称を用いるのが主流でした。

さらには「陰口ほど醜いものはないわ」「バイトはちゃんと続けなきゃ駄目よ。」など、女性のセリフには“コテコテの女性語”で味付けすることも珍しくありません。

無論、2Bも自分のことを「私」と呼びますよね。

ヨコオタロウさんの作詞でも『灰ト祈リ』にて「私」と「僕」の使い分けが確認されており、2Bがボクっ娘である可能性は無いに等しいと言えるでしょう。(?)

にもかかわらず、何故か『ブラックボックス』に用いられている一人称は「僕」のみ。2B視点での理解が進むほど膨らむ矛盾です。

もちろん表向きには「9Sの歌だから」で済む話ですが、例えば『虚無病』や『空に歌えば』のように一人称を全く使わない選択肢もあった訳ですし。

空に歌えば

空に歌えば

  • amazarashi
  • ロック
  • ¥255


そこで女性視点なのに「僕」で歌っている前例を探してみた結果、該当したのが『月曜日』『さよならごっこ』の2曲。どちらもタイアップ用に書き下ろされた楽曲ですね。

厳密には『月曜日』の視点は明かされていないものの、原作をオマージュした部分には水谷茜のセリフが色濃く反映されているように感じました。

反対に“どろろ視点”を明言されている『さよならごっこ』ですが、自分の気持ちと重ねたことにも言及しており、残念ながら「おいらがいるでしょう」は実現せず。

上記2曲に共通しているのが「世界観はタイアップしつつも、根幹は秋田ひろむの言葉」である点。一周回ってすごく当たり前のことなんですけど。


「〇〇視点」で楽曲を書き下ろすということは、専用のキャラソンを作っているのではなく「もしも秋田ひろむが〇〇だったら」というシチュエーションで自身の心境を綴っているに過ぎません。

他の誰にも描けない“amazarashiらしさ”を貫くためにも、タイアップ曲では語り手を自分自身に固定していたと思われます。

いつだって秋田さんの歌に込められているのは秋田さんの言葉であり、それを象徴しているのが「僕」という一人称だったのです。


以上、今夏の自由研究でした。