こんばんは、例年よりマシな花粉症ダーレクです。
「痛覚/騒々しい無人」のリリースから2ヶ月近くが経ち、流石に世間の話題はゴーストや新言語秩序、そして先行配信された『黎明期』に移り変わってきましたね。
そんな中、いよいよ先週「青の祓魔師 終夜篇」が最終話を迎えたということで、遅ばせすぎながら“ニューシングル”の感想を投稿したいと思います。
今回もインタビュー記事は公開されず、ライナーノーツやMCなど裏話が語られる機会も無し。もはやなんとなく聴いているだけでは、楽曲を知り尽くせないまま旬を過ごし終えてしまう時代です。
もとより歌詞考察を苦手分野と自認している僕ですが、昨年『超新星』『ブラックボックス』などと徹底的に向き合ったことで、良くも悪くも努力する術を覚えてしまいました。まったくしょうがないなぁ…。
なお、青エクのネタバレに関しては、アニメ勢として知っている範囲を大っぴらに語っていくのでよろしくお願いします。
『痛覚』の感想
2年前のニーアオートマタとは異なり、原作の展開を知らない中でアニメを視聴していた「青の祓魔師」は、毎週リアルタイムで頭の中のピースをハメていく感覚が新鮮でした。
一旦MVについても触れておきますと、変にオリジナリティを出して下振れるよりは、こうして無難に徹してくれた方が僕にとっては好印象です。
折角なら1月上旬のうちにMVを出した方がロケットスタートを決められたと思いますが、終夜篇の映像素材を使いたかった気持ちも分かるのでトレードオフってやつですかねぇ。
アニメMVの前例『アンチノミー』と大きく異なるのは、過去クールのエピソードが使用されているせいで洒落にならないネタバレが盛り込まれていること。雪男の青い炎って満を持して発現したからこそ驚けるんじゃないですか…?笑
また「青の祓魔師 Edition」という文言から察するに「amazarashi Edition」に近しいものも投稿されると睨んでいたのですが、もう流石にアルバムの販促でもう一発!ってことはないですよね。
これまで「Lyric Video」「Official Video」などの名乗り方も使い分けてきたように、単純に「アニメの映像でまかなったMVですよ〜」のニュアンスとして定着させる狙いがあるのでしょうか🤔
作曲面で革命起きてますよ
amazarashiにとって最も革命的だったのは、Bメロ「引き裂いたから」に始まる転調。ポエトリー曲では『或る輝き』『俯きヶ丘』などの前例がありましたが、秋田さんの歌う主旋律がガッツリ転調したのは『痛覚』が初めてです。
サビに向けてわざわざ明るい調へと切り替えているものの、サビだけに前向きな歌詞が集約されている訳でもありません。
どちらかといえば、サビだけが“痛覚”への気付きに言及していて「今からちょっと興味深いこと言いますよ〜」の意味を込めて線引きしているような印象を受けました。
かと言ってサビで突然切り替わるのではなく、事前に慣らしてくれる掛け湯システムなのが親切ですね。(?)
白鍵盤調のサビが終わって何事もなかったように水風呂へとダイブする潔さも、まさかamazarashiで味わえる日が来るとは思わなかったタイプの快感です。
ラスサビで転調したまま最後に叫ぶ「冷え冷えと蒼褪める夜に僕ら 凍えて×4」は、歌詞サイト(APOLOGIES含む)に載っていないのがちょっとした疑問点。あくまで秋田さんがアドリブで追加しているおまけ判定なのでしょうか。
同じ歌詞を異なるオクターブで繰り返す手法は『僕が死のうと思ったのは』『戸山団地のレインボー』などでも見られてきましたが、それを転調一発目にも応用してしまう秋田さんの柔軟性たるや。
続きまして、メロ被り警察による揚げ足取り締まりコーナー。
真っ先に気が付いたのは『フィロソフィー』『馬鹿騒ぎはもう終わり』辺りのサビを彷彿とさせる「僕は何度でも君を選ぶ」「明日の轍に降り積む」など右肩下がり気味メロディ。僕の中では「明日の轍に〜降り積む〜や給付金や〜」的な替え歌が流れています。
転調版「(冷え冷えと蒼褪める)夜に僕ら」に至っては、『パーフェクトライフ』サビの裏声「僕らの人生は」と相当なシンクロ率を誇っています。(さては作曲中に思い出したノリで無人ツアーのセトリ入りに繋がったな??)
もう一段階こじつけてみると、サビのフォーマットが『ブラックボックス』と似ている気もするんですよね。「壊してくれ」「片っぽに」の歌い出し方とか、それぞれ「あらゆる悲しみは星を目指す」「明日の轍に降り積む」をねじ込んで間奏に入る感じとか。
とはいえamz初の主旋律転調も相まってか、全体的には新鮮で噛みごたえのある楽曲という印象が勝っています。
ちなみに、テレビサイズ版では2017年ぶりに楽曲の構成が簡略化されているのも特筆したいポイント。
『季節は次々死んでいく』が色々コンパクトになったり、『スピードと摩擦』は逆にラスサビを持ってきたり、『ヒーロー』のCメロがスキップされたりと、初期のタイアップでは決められた尺ならでのリージョンフォームが一興だったと思います。
ところが近年は“最初の90秒をカチッとハメる作り方”を貫いており、良くも悪くもテレビ版の独自性が薄れつつありました。(『さよならごっこ』『アンチノミー』はアレンジが微かに違ったりする)
今回は間奏が半分になっているだけですが、久しぶりに大胆な犯行を味わえたことで妙に懐かしさを覚えています。その割に尺を余らせている点は若干モヤモヤしているんですけど…笑
青エクを踏まえて歌詞考察
アニメを観始めた頃は「このテンションの物語とamazarashiがマッチするのか?」と疑問を覚えていたものの、直近の“雪ノ果篇”に入った辺りからamazarashiの空気感に急接近してきたのが印象的でした。(まさかの青森回もあったし)
『痛覚』のテーマについて、発表時のコメントでは「燐のこれまでの葛藤(+獅郎の託した願い)」だと明言されています。
しかし『ブラックボックス』で思い詰めた際に、amazarashiのタイアップ曲は「完璧な原作再現ではなく、あくまで秋田翻訳されたキャラクターの心情」だということも学びました。
例によって、燐も獅郎も作中では「俺」という一人称を用いていますからね。
それらを心に留めながら、いつものツッコミ形式で『痛覚』の歌詞をじっくり振り返ってみましょう。(サビは話が盛り上がったので次の見出しで)
先に結論を言うと「君=獅郎」「僕ら=燐と雪男」を指しているんじゃないかと思います。
冷え冷えと蒼褪める夜に僕ら 凍えて 灯火探した
初っ端から結論と違うことを言いますが、ここはOP映像の通りにユリと獅郎に重ねるのが王道でしょうか。(まあBBも9S視点で受け取りがちだし)
あるいは燐と雪男(👶)を指した上で、灯火(身の安全)を探して泣いているのが最初のフレーズ、Cメロで互いに見つけた灯火だけ「あなたにとっての1」の意味合いだったとか。
「冷え冷えと蒼褪める夜に僕ら〜」は曲中に3回登場しますが、いずれも過去回想(終夜篇の時代)として差し込まれている印象を受けました。
信じてきたことが全部嘘だとしたら 存在意義が揺らぐ そんな気がしたんだ
1番Aメロということで、ここで仄めかしているのは燐が悪魔だと発覚する最序盤のシーンでしょうか。
だけど成したことと成せなかった事実に 仄かな動機が宿る それを信じるよ
「成し遂げたものと叶え損なった望み」で僕らはできていると云う『たられば』の詩集や「なりそこなった自分と 理想の成れの果てで 実現したこの自分を捨てる事なかれ」と歌う『フィロソフィー』などを彷彿とさせる対比ですね。
“立ち上がるのに十分な明日への期待”を信じることにも近いかもしれません。
悲劇の始まりだとしても 僕は何度でも君を選ぶ
疑うことが僕らを引き裂いたから
1番の「君」も2番の「今日」も、僕の解釈上では「この世界線」とパラフレーズできます。
雪ノ果篇で雪男と衝突した際に「ジジイは雪男のことを目障りだなんて思っていなかった」と自信を持って否定できなかった、そのまま行かせてしまったことが当てはまりそうです。何より、雪男は獅郎の目的に疑いを持ったことで闇堕ちしてしまいましたし。
頬の熱で溶けるささめ雪の雫 こんな僕にも未だ生命の灯がくすぶる
2番Aメロの「自身を卑下する語り手がふとした拍子に生きていることを実感する」という流れ、『ワンルーム叙事詩』でも似たようなタイミングで似たようなフレーズが登場するんですよね。
両曲の温度差はだいぶ開いていますが、五感で命を実感する点は共通していると言えます。そこはかとなく「痛覚が愛」とも重なっているような…?
行くあてもないと かじかむ虚ろに住まう 暖に集う人 温もりがあれば
終夜篇の第1話がとんでもないシンクロを見せてくれました。この場合は燐が当事者ではないのですが、まあガッツリ目撃していますからね。
あえて青エクの先入観から離れてみると、永遠市のアルバム説明文にも共通点を感じられます。「居場所がない」と歌っていたamazarashiを灯火として、今では沢山の人が集っているように。
悲劇の始まりだとしても 僕は何度でも今日を選ぶ
恐れることが誰かを傷つけたから
物語的にも「今日」とは青い夜が起こった日のことでしょうか。現に燐はずっと、出生の秘密を知るのが怖くてビビっていました。
その姿勢によって雪男を傷つけていたこととか、物理的に大暴れしたこととか、諸々引っ括めての「誰か」だと思っています。
生まれなきゃよかったと 嘆く闇 照らす明かり
失うこと 損なうこと 後悔こそ僕をいざなう
冷え冷えと蒼褪める夜に僕ら 互いに 灯火見つけた
いや〜最終話のモノローグが脳内再生されますね。
詩集の最終段落でも語られているように、失ってしまったことへの「後悔」が逆説的な原動力となって道を照らしていくようです。
その気付きに誘発されて、あの夜に「互いに灯火を見つけていた」こともフラッシュバック。どうなってしまうんだ今後の青エク!
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— アニメ「青の祓魔師」 (@aoex_anime) 2025年3月27日
#青の祓魔師 終夜篇
第12話 切り抜き❺
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第12話「ありがとう」より
本編の切り抜き動画を公開🔥
「バカじゃねぇか!???」https://t.co/tGy9zlPKXF#青エク #aoex #blueexorcist pic.twitter.com/2FfRX1WLhI
「痛覚が愛」って結局どういう意味?
サビは3回とも同じ歌詞を繰り返しているため、時系列には干渉していないものと考えています。前後半に分けて、それぞれのフレーズを見ていきましょう。
片っぽに互いの約束、結わえて ほどけない手と手、結び目
誰かの願いの下に産れたんだ
後半を「誰かの願いの下に産れたこと」に基づいて「それなら〜」と展開させていく以上、1行目も自分の出生にまつわる話をしていると逆算できます。
ここでは「誰かの願い」のイメージを膨らませるために、一例としてロマンチックな表現でサビ頭を彩っているものと解釈しました。
僕の中で長らく腑に落ちなかったのは、「互いの約束」「ほどけない手と手」など登場人物が2人いる前提で話が進む一方で、「片っぽ」の対となる「もう片っぽ」が一切登場していないこと。
青エク的には「先立ったユリの分まで燐と雪男に愛情を注いできた獅郎」が当てはまりそうだったので、ひとまずそこに向かって筋を通してみます。
「手と手」を“手を切る”などの慣用句に倣って「関係/縁」として捉えてみると、たとえ「もう片っぽ」を失ったとしても「2人の絆」まで失くなってしまう訳じゃない。そういった解釈ができそうですね。
にしても片っぽに結わえるだけでどうやって「結び目」を作るんだろう?と再び頭を悩ませていましたが、こちらは日本語を疑うことで解決の糸口を見つけました。
ずばり、現在完了形なのです。(かつて交わした)約束を片っぽに結び続けていて、2人の消えても消えない絆を「結び目」と呼んでいるのかなと。
続く2行目では、人が生まれてくる背景にはそんな「願い(≒自分の外側に矢印を向けた、約束の第二形態)」も隠されているかもしれない。といった“たとえ話”をされている印象を受けました。
それなら生きとし生けるものに 備わる痛覚が愛って
知りながら僕は痛む 君の笑みの名残 明日の轍に降り積む
「それなら」は「仮にその“たとえ話”が本当だとしたら」という意味で着地。
「痛み=愛」ではなく「痛みを感じること=愛」という言い回しなのが気になりますよね。もっと言えば「痛みを感じる機能が備わっていること」を指しているように見えます。
そう知りながら僕が痛んでいることからも、ひとまずは「心の痛み」として受け取りました。
痛覚が備わっていること
↓
痛む心を与えられていること
↓
(誰かの願いの下に)生まれたこと
↓
「愛」
つまり「心を痛めることができるのは、誰かが産んでここまで育ててくれたから」という解釈。父と母が出会って生まれただけで、ありのままで『奇跡』だという思想も感じられますね。
そういう先入観で読めば『アンチノミー』の「だけど痛いと泣く心を 僕は疑えやしないよ」と限りなく近いことを歌っているようにも聴こえてきました。
詩集の考え方を取り入れると、さらに「痛覚=愛(が過ぎ去ってしまったことを伝えるセンサー)」みたいな捉え方もできそうです。というか「愛ゆえの痛み」ってほぼほぼ書かれていますし。
かと言って「痛いのは嫌だから愛を遠ざける」のではなく、愛の名残が痛ぇと「知りながら僕は痛む」という、これまでの悲喜交々を背負っていく姿勢。
『ロングホープ・フィリア』の2番サビ「願わなきゃ傷つかなかった 望まなきゃ失望もしなかった それでも手を伸ばすからこその その傷跡を称え給え」を彷彿とさせるロジックですね。
「次の一歩で滑落して そこで死んでもいいと 思える一歩こそ ただ、ただ、それこそが 命にふさわしい」と歌う『命にふさわしい』のCメロもそうです。
いずれのフレーズも痛みに臆せず進んでいくことを肯定しているように見えました。
「君の笑みの名残」については「(燐視点での)獅郎の笑みの名残」だと捉えていますが、それが「明日の轍に降り積む」とはどういう状況なのでしょうか。
そもそも「明日の轍」が発生するということは、明日が過去になるくらいの時間が過ぎており、そこに名残(もっと過去の出来事)が現在形で降り積む……なかなかタイミーワイミーですね。
実はちょっと整理してみると案外簡単で、明日よりもずっと先の未来になっても相変わらず「君の笑みの名残」に心を痛めている。と読み取ることが可能です。
カップリング曲と実質カップリング曲
『どうなったって』の曲名が『生活の果てに音楽が鳴る』でも違和感ないよな〜と思えるくらい、今回初音源化された2曲からは共通点がプンプン匂っています。(NO MUSIC NO LIFE感とか)
当初は「2曲のテーマが似ているなら、どちらも次のアルバムで初収録すれば良かったのに」と思っていましたが、横アリ公演特化の「ゴースト」が爆誕したことで、過去の曲を混ぜたくなかったのだろうという推理ができるようになりました。
かと言って、作りたてホヤホヤの『どうなったって』との親和性も捨て難いし、何より11年間越しに音源化するチャンスだし…………え?青の祓魔師とタイアップですか?閃いた!やりますやります!という背景があったのかなと。
後述しますが『どうなったって』には『痛覚』を彷彿とさせる歌詞もありまして。
そんなこんなで存在感のデカさを捨て置けなくなった影響で、完全生産限定盤のみ「痛覚/騒々しい無人」というツアーとの両A面風タイトルを付けちゃったのだと考えています。
『生活の果てに音楽が鳴る』
秋田日記で読んでいる頃は『春待ち』のサビを踏襲したリズムで、
「生活の果てに 音楽が鳴る」×3
「全て忘れる 音楽が鳴る」
と呟くように歌う、ゆったりした曲調をイメージしていました。
それがまさかまさか、イントロから西部劇を連想させられることになるとは…笑
『海洋生命』も裏声ピアノ曲かと思いきやワクセーノエーシュミノオイターチだった過去がありますし、今後のカップリング曲は第一印象の真反対をイメージしておいた方が初聴で置いていかれずに済みそうです。
歌詞の方はともかく、メロディ面では「生活」よりも「音楽が鳴る」方を重視されている印象を受けますね。「誰もが“生活”の真っ只中だし、音楽だけ鳴らしておけば画竜点睛だろう」みたいな深読みで僕は納得しています。
メロ被り警察としては、Cメロの歌い出しが『自虐家のアリー』『下を向いて歩こう』と酷似していることのみがヒット。なんなら2013年初出ということで、むしろ『生活の果てに音楽が鳴る』こそがこの系譜のオリジナルだった説も浮上してきました。
「風吹く→梢揺れる」のくだりは、過去にも『パーフェクトライフ』や『リタ』の詩集で登場してきました。
後者の文脈からパクってくると「時は流れる」ことを視覚的に表現しているようです。「日が沈みまた昇るように 花が散りまた咲くみたいに」の反対側から唇を噛んでいるイメージ。
1番の「足跡に磨り減った土塊」もまた「土を踏んだら土が凹んだだけ」であって、風吹いて梢が揺れるのと同じくらいに当たり前の因果。その一例を早い段階で「例えば〜」と切り出して、サビの後に「風吹けば 梢は揺れる」で倍プッシュという寸法に見えます。
ヤケクソ感漂う本曲の詩集も踏まえると、全体的には「時が流れて悲しいことも増えていくけど、振り返っても戻ってこないのだから仕方ない。俺には音楽だ音楽🎸」みたいな温度感ですかね?
今後のライブでは、秋田日記における後輩『アダプテッド』と同じくスルーされてしまうのか。それともカップリング界の先輩『海洋生命』のように秋田さんの寵愛を受けられるのか。
永遠市ツアーの『インヒューマンエンパシー』や新言語秩序の『僕が死のうと思ったのは』などなど、前曲から繋げてあのイントロが始まる演出は容易にイメージできますが、果たしてどう転んでいくのでしょうか。
『どうなったって』
曲紹介MCでは「ライブ終盤の高揚感で“どうなったっていいや”と思える瞬間のために音楽をやっている」といった内容が語られています。
まさにその気持ちがそのまま出力された楽曲だと思っているので、良くも悪くも『痛覚』のように根掘り葉掘り考察する必要性は感じませんでした。
Aメロの最高音ポイントが記憶よりも半音低かったことへの驚きと、3番の「これで旅に出よう これで会いに行こう もういいよ」が歌詞ミスなのかどうか地味に気になっているのが特筆ポイントですかね。
おかげさまでイヤーワームも解消されて、現在は呼んだら来てくれるくらいの適切な距離感を保っています。
新幹線も飛行機も 窮屈だから嫌い
それでも会いたい人には 会いに行かなきゃだな
ここで云う「会いたい人」とは、ほぼ確で僕ら「amazarashiファン」を指しているのでしょう。いやぁ〜歌い出しから照れますねぇ〜🥰
ライブにまつわるほのぼの心境に見せかけて「会いたい人のために窮屈なのを我慢する」という、さっきまで『痛覚』で咀嚼していた「愛ゆえの痛み」も体現しています。
本音を言うぞって顔で 本音を言わないし
嘘はつきたくないから 口数も減ってきた
魂売ったつもりで 飛び乗った けど後で気付くんだ 買い戻せないと
一見するとそれっぽい歌詞ですが、2024年のamazarashiとしてはどこか引っかかりを覚えたので立ち止まってみました。
本音と口数のくだりは、秋田日記の更新頻度やインタビュー記事の減少との関連性を少なからず感じています。
下手な発言を残してしまうと、リスナーから曲解されたり深読みされたりすることがあって、なるべく音楽以外では多くを語らないように意識していそうじゃないですか。直近の秋田日記でも言葉選びの葛藤が見られましたし。
昨年末のCDJをMC抜きのギチギチセトリで駆け抜けたのも、ゴーストに関して余計な言及をしたくないという思いが含まれていたのかもしれません。
その次には「ワンチャン魂買い戻せたらなぁ」とすら言いたげに聴こえるフレーズ。
これは本気で戻りたいと願っているのではなく、“今の悩み”が無くなったらどんな感じなんだろう?って隣の世界線をチラ見しているくらいの感覚でしょうか。
秋田日記には「〇〇(達成感系)は楽しい、△△(作業系)は楽しくない」といった対比が度々登場しています。
つまるところ、自分の望む生き方(音楽)を続けるには、同時に不本意な苦悩も背負っていかざるを得ないと言いたいのかなと。これまた幾ばくか『痛覚』っぽい印象を受けますねぇ。
悩みは尽きない一生 不満は積もる一方
歌詞カードは白紙で お薬手帳は埋まる
仮に『ごめんねオデッセイ』の一節だったら死ぬほどシリアスに聴こえそうですが、ここではピクニック級に明るいメロディのせいか「とほほ🙄」くらいのテンションで聴こえてくるのが音楽の面白いところ。
そもそも欲しいものなんて そんなに無かったって思い出す
擦り減ってまで手にしたいのは まっとうな動機と てにをは
胸を焦がして いつか見た光よ まだ探してる
Cメロがあまりにも『光、再考』の後日談なんですよ。「本当は手にしたくなんか無いんだよ ずっと追いかけていたいんだよ もっと胸を焦がしてよ 死ぬまで走り続けたいんだよ」ってことを思い出して、もっとあの光を見たいなぁと走り続けているみたいです。
無人ツアーの飽きたさんがあの曲を久しぶりに“歌いたくなった”のも、流石にこのフレーズが関係しているとしか思えません。
ところで「胸を焦がして」のメロディは、『エンディングテーマ』サビの歌い出し「僕が死んだら〜」をがっつり思い出すくらい同じ始まり方をするんですよね。
ロスボツアーの『あんたへ』を経て『インヒューマンエンパシー』がリリースされたりとか、さっきも『痛覚』と『パーフェクトライフ』の一部が似ていたりとか、前々から「リリース前の新曲」と「制作時期にセトリ入りする楽曲」には相関関係を感じています。
「騒々しい無人 2024」が映像化された感想
撮影公演にすっかり居合わせるようになった近年は、ライブの記憶がそのまま映像化されている感覚があって、主な感想は「新音源ありがとう」に落ち着くようになりました。
『エンディングテーマ』の弾き語りver.はもちろん、『パーフェクトライフ』『まっさら』など別音源が初めて生まれた楽曲もありますし。
強いて言えば、初っ端の『アンチノミー』は秋田さんに2年間刷り込まれてきたこともあり、いつの間にか実家のような安心感が芽生え始めていますね。
ピチピチの新曲ばかりを聴いていると、稀にホームシックのような感覚を覚えたり覚えなかったり。
それはそうと、ハンディカメラで隠し撮りしたような映像が多用されていたのは何なんでしょうね。
これまで手ブレの緊迫感が有効に感じられたのは、メッセージボトルツアーのお詫びで弾き語った『命にふさわしい』くらいなものです。
唯一『どうなったって』に関しては、手ブレのおかげで“合法とは思えない映像”をこっそりと観ているようなヒリつきを味わえて面白かったですけど。(にしても出オチ)
恒例の修正点チェック
- リビングデッド
2番でちょっぴり調子を崩して「おおおおお〜」と繰り返す部分はかなりの不協和音に。とはいえ「大きなニムロド〜」のハーモニーが噛み合わなかった時にも近い、特例的な心地よさがありました。
正常に歌えていたラスサビとの対比として、是非映像化に際しても修正せずに残しておいてほしいのですが現実はそう甘くなさそう…。
2番の「おおおおお〜」もすごく綺麗でしたね。
ラスサビ前半のリズムは若干ぎこちなかった気がしますが、
宮城公演では末法独唱と同じように聴こえていたはずですが、この時ばかりは沼から足を引っこ抜こうとしながら歌いましたみたいなカクカク感があったんですよね。
結果的に修正もされていないようで、音程でも歌詞ミスでもないからスルーされたのか、或いは意図したアレンジだったのか個人的に気になっています。
宮城よりはだいぶ安定していましたが、ラスサビ「愚かなジュブナイル」でついに危うくなり、それでも裏声は普通に出せていたことにニンマリしていたら「笑えたらそれでいいんだよ」と紗幕に肯定されました。
実際にどの程度グラついていたのか、はっきりとは覚えていませんが、少なくとも非常に苦しそうな「最後の最後に」が残されており、貴重な音源がまた一つ生まれたなぁと感慨深く思っています。こういうのが聴けたら大当たりだなぁ。
- 光、再考
慣れすぎて油断したのか「僕がにやを出て行く」みたいなことを言っていたのも新鮮でした。
なるほど、どちらとも取れる発声だったんですね。多分修正はされてないんだけど音源を聴いてみたら意外と普通だったパターン、いつぞやの『境界線』でもありました。
- 吐きそうだ
1番サビを歌い出す際、豊川さんが「生きる…」をフライングしたのがこの曲のハイライト。2番とは入るタイミングが異なるので、僕もカラオケで時々やっちまうやつです。
まあロスボツアーの『数え歌』が駄目なら、当たり前に今回も修正されますよねぇ。豊川さんの人間味を耳で感じられる貴重なハプニングだったのに。
- まっさら
2番サビ「泣きじゃくってまっサ↑ら」
3番サビ「泣きじゃくってまっサ↑ら」
安定感のある歌唱の中で上記2箇所だけピンポイントに裏返って、剥き出しのリアルを極限まで煮詰めたような一曲でした。
それ故に最も修正されてほしくない外れ値なんですけど、ロスボの「アイ↑デンティティー!」という前例を見るにもうお耳にかかれないような気もします。
ご名答。
一口に音外しと言っても、時折それがライブの臨場感を爆増させているケースもあるので、修正すべきかそうでないかはもっと柔軟に判断してほしいと思ってしまいます。
あの『爆弾の作り方』が良かったことまで4ヶ月前の自分に掘り起こされて、なんだか余計にモヤモヤしてきました🙃
- 夕立旅立ち
最後の最後「仰ぎ見 幾年」のところ、それっぽく発音してたのは分かるんですけど何て言ってたのかよく分からないですね。マイクが遠かったのか実際にモゴモゴしていたのか。
そりゃあはっきり歌ってくれました。
実際の発音がどうだったかは思い出しようがありませんが、仮にそうだったならこれは完全に修正してもらって構わない方のやつですね。
ライブ音源修正アンチの葛藤
amazarashiのライブ映像作品は、武道館公演「新言語秩序」をキッカケに本気で修正されるようになりました。今や僕もそれに慣れきって、音源がキュンキュンに整えられている前提で円盤化を待ち望んでいます。
それ故に、いざリリースされても“ライブ風音源”として受け止めるようになってしまったのが弊害の一つ。悪すぎる言い方をすれば口パクみたいなものですし。
「ライブ映像作品はあくまで映像作品であって、ライブをそっくりそのまま追体験できる訳ではない」
そういう意味では、逆説的にライブに参戦することの価値が高まっているとも言えますね。リアタイしないと生を確かめられないのですから。(前にも書いたなぁと思ったら今も下書きで眠り続けている記事だった)
一方で、今回ばかりは初解禁された新曲『どうなったって』を秋田さんの意図したメロディで確実に届けられているという、それはそれで大きなメリットが存在しています。
何より大前提として「毎年のツアーが当たり前のように映像化されていることのありがたみ」を忘れてはいけません。ワンマンのセトリに入るだけで新しい音源の供給が確定しているなんて、冷静に考えれば贅沢すぎる話です。
「Ending」も収録してくれてありがとう
今回映像化された「騒々しい無人 2024」東京ファイナルの主演後には、完全新曲『君のベストライフ』の初披露と共に「電脳演奏監視空間 ゴースト」の開催が世界最速で告知されました。
単発のコンセプトライブは2023年の「騒々しい無人」ぶりで、2014〜18年の毎年恒例と言わんばかりなスパンには戻らずとも、コロナ明けとしては早くも2度目の開催となります。
考え事をしていた当時の僕は見逃していましたが、秋田さんの退場時に幕がわざわざ降りてくる確定演出もあったんですね。映像内では“騒々しい無人”を体現しているかのようなマイク一本のアングルが最高です。
この終演後の新曲解禁というイベント、5周年ライブ辺りまでは定期的に行われていたようですが、コロナ明けの前例はボイコットツアー青森公演の1回限りでした。(延期の事情で2公演目からファイナルに繰り下がってきた奇跡)
やはりツアーの最初と最後は観届けておく価値が特別高そうですね。撮影の都合かここ数年は必ず東京がファイナルに配置されているため、僕個人としては初日に気を配るだけで済んでいるのが楽っちゃ楽です。(むしろ東京が最後じゃなかったら追加公演ありそう)
とまあ“大型ライブの告知”と“新曲解禁”がいよいよ同時に実現しちまったもんで、当時は「あ〜すごいな〜」と口をパクパクさせるので精一杯だった記憶があります。
まとめ
アルティメット付け焼き刃の青エク知識でリリース日を迎えた『痛覚』ですが、はじめは転調が革命的な新曲としてざっくり咀嚼しているだけでした。
しかし、終夜篇の放送が進む度にゴリゴリ感情移入できるようになり、今となっては「痛覚/騒々しい無人」の個人的MVPとなっています。(獅郎が何者かを知れたのがデカい)
“ライブ風音源”の『パーフェクトライフ』や『どうなったって』も日々ありがたく聴き込ませていただいていますが、いざ当たり前になったら安心しちゃったのか、思っていたほどの鬼リピ衝動には駆られていませんね。結婚してから冷たくなる素質がありそうです。(?)
この記事を投稿する頃には、ニューアルバム「ゴースト」の詳細がとっくに発表されているので『痛覚』『どうなったって』の曲順についても少し触れておきましょう。昨年末のCDJから反転した順番で隣り合わせなんですよね。
「収録曲の中でも共通点ある寄りだなぁ」と秋田さんが思ったからこそ、この曲順になっているはずです。というか、記事内で言及してきた通り「本懐を遂げるためには、苦難に見舞われるのも仕方ない」ってスタンスが共通しています。
仮にそういう流れが作られている場合、直前の『収容室』で尚更ボコボコにされてしまうフラグが立っているような…😱
