雨曝しな気持ちは言葉にするべきだ

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amazarashi大好き系ブログ

【編曲】さよならごっこ:月並み、マスクチルドレン:新言語秩序

こんばんは、ダーレクです。ブログ更新が不定期なだけあってスケジュール管理が苦手なので、オンライン授業の課題提出に振り回される日々を送っています。


ここ2ヶ月で感情の起伏が下→上→下→上→下と波打っていて、下にいる時ほど創作意欲?(僕はブログで〜)が湧いてくるのをはっきりと感じます。まあ下書き散らかして満足しちゃうのでなかなか投稿には至らないんですけどね。笑

秋田さんも同じように沈んでいないと本領発揮は難しいでしょうし、ミュージシャンって大変そうですね。自分なら絶対趣味止まりだなあ。



アレンジの幅が広がれば賛否の幅も広がる


ボイコットのインタビューでも秋田さんが言及していた通り、近年のamazarashiは楽曲のアレンジがより個性豊かになってきています。

natalie.mu

僕自身、新しいことをどんどんやろうっていうタイプではないんですが、もうそろそろ10年になろうかってところだし、今までのスタイルに飽きはあります。そういうものが漠然と共通認識みたいに僕にもamazarashiチームの中にもあると思います。飽きたらつまらないですからね。毎回アップデートはされてるんですけど、今作はそれが今までで一番、色濃く出てると思います。


リスナーとしても楽しむ要素が増えたのは良いことなのですが、その分「なんだこれ?」と編曲に疑問を覚えてしまう曲も現れたりして、それが僕の場合はタイトルに掲げた2曲というわけです。

特に『マスクチルドレン』については思う事が沢山ありすぎて、もう一つ記事を書き足して色々語っています。言うて嫌よ嫌よも好きのうちなので安心してください(?)

dalek-amz.hatenablog.com



「さよならごっこはTV edit.が至高」という僕の揺るぎない見解

youtu.be

夜道をとぼとぼ歩くようなイントロからAメロに流れて、何かを予感させるBメロを経て感情を漏らすようなサビ、そしてまたアウトロでとぼとぼ…。


どろろ」を視聴した身としてはこれ以上ないくらいぴったりのEDテーマでした。


その代わり“アニソン”としての印象が本当に強いので、フルでは一味違うぞってところを見せたかったのかも。

結果的にイントロまで無駄に煩わしくなっちゃったので、僕はMVを観るくらいならこっちを観に来ています。2期EDの『闇夜』はフルでも聴きやすかったのに。


さよならごっこフル解禁うぇーいの記事でも、歌詞やメロディの感想こそ述べどアレンジには一切触れていませんでした。

(後にそれを言葉というのアレンジはべた褒めしたのに)

無理に褒めても嘘になることは当時から薄々感じていたのかもしれません。


まあ『それを言葉という』を称賛していたのもMVの段階であって、正式に収録された方は同じようにうるさくなっちゃいましたけどね。あのシングルは色々と残念だったなー。

www.amazarashi.com

僕が推してるTV edit.も期間生産限定盤にしか収録されなかったので、よっぽどの玄人でない限り初回生産限定盤を購入するamazarashiファンの手には渡らないのです。過去アニソン3曲は別途配信されていたのになんでだろう。



もっとうるさい曲なら色々あるのに


ここからは僕が感じる『さよならごっこ』2番以降の“味付けしましたよ感”の根源を独りよがりに考察していきます。あくまで編曲にフォーカスして。


うるさい(褒め言葉)ってだけなら『もう一度』『ヨクト』『フィロソフィー』などのギターギャンギャンロックが自ずと挙げられますが、
曲の始まりと終わりでボルテージが随分違う曲で絞れば『命にふさわしい』『未来になれなかったあの夜に』がパッと思い浮かびます。

上記2曲は名曲としての地位を確立しているのに、さよならごっこにだけは「統一感が無い」という感想を抱いてしまいます。何故なのでしょうか。


まずそれらと比較するならば、さよならごっこには“曲の長さ”がそもそも足りなかったのかもしれません。

さよならごっこ(4:30)の演奏が終わる頃、他2曲がどの辺にいるかというと…

『命にふさわしい』:Cメロが始まったくらい
『未来になれなかったあの夜に』:2番〜3番の間奏が一旦落ち着くところ

たくさんの濃厚なメッセージを経て、これからクライマックスを迎えようって局面なんですね。それを3分の2ほどに詰め込もうとするから展開が急だと感じるのかもしれません。
ラスサビで無理やり盛り上げなおすのも僕には安直に感じたし、いっそ『古いSF映画』みたく貫いてほしかったというのが正直なところです。

古いSF映画

古いSF映画

  • amazarashi
  • ポップ
  • ¥255


また、僕の中では2番サビのバスドラムが一番の違和感ポイント。『夏を待っていました』『ジュブナイル』などの裏拍、『アルカホール』のような変則的なものでさえ趣深さはあるのに、なぜかこの曲には疑問符を抱えています。

ここで挙げた3曲と何が違うんだろうと考えた時、さよならごっこだけ明らかにテンポが遅いんですね。BPMには詳しくないのでデータで比べるのは割愛しますが、
例えば音楽に不協和音を交ぜるのもさりげなくやるから面白くなるわけで、あからさまに気持ち悪くしてみましたーとなると人を選ぶことになると思います。

「テンポが遅い分、気を衒ってるのがバレバレだから微妙に感じる」というのが僕の結論です。まあ単純にノりずらくなるってのもあるかもしれませんが。



というわけで僕は「曲の長さ」「テンポ」との相性をこの曲の違和感の元凶としましたが、つまり“楽曲の都合上しゃーない”ということに。タイアップ故にどうにかキャッチーなアレンジにしなきゃならない事情にも頷けますし、それを僕が嫌ったんじゃ皆が納得する作品に仕上げるのはもはや不可能となります。


出羽さん「私は…そなたを…救えませぬ!」(百鬼丸のおっかちゃん並感)



マスクチルドレンはちょっと足りない


実はアルバムの中では『帰ってこいよ』『とどめを刺して』『そういう人になりたいぜ』の次くらいには聴いている曲なんですが、聴けば聴くほど「未完成な曲だなあ」という感想が浮かんできます。
まあ始まりの曲ゆえにそんな感想を抱かせること自体間違いじゃないって説もありますが…。

マスクチルドレン

マスクチルドレン

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  • ロック
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音数の少なさで言えば『花は誰かの死体に咲く』『そういう人になりたいぜ』なども当てはまりそうなのに、この曲にはそういうサッと茹でて軽く塩を振りかけました的な曲とも違った、あくまで薄味と言いたくなる余白が存在します。


僕の中にある“良い余白”と“良くない余白”の線引きは一体どこにあるのでしょうか。

結論から言ってしまえば、「楽器のバランス」と「テンポ(またかよ)」が関係しているんじゃないかと思います。


とにかく声高に嘆きたいのは、ピアノの影の薄さイントロの切り込み方こそ斬新で印象的ですが、歌が始まるとコードだけ弾く縁の下の力持ちに永久就職します。しかもギターなど他の楽器の影に隠れるので本当に「え、いたんだ」ってレベル。

そのギター達ですらこの曲では主張を抑えられていて、Cメロなどでちょこちょこ活躍の場はありますが、それでもピアノ然り特徴的なリフが存在しないことで楽曲全体のインパクトが足りない事態になっているのだと思います。

弾き語りver.との印象の違いはこういう所に起因していそうです。あっちはアコギがしっかり主軸に成っていますらね。(そりゃそうか)

変わりにドラムがやたらと活躍してるイメージは皆さん持ってると思います。もはやボーカルとスネアドラムとシンバルだけで成立しそうなくらい。他の楽器の役割があくまで“雰囲気づくり”なのだと感じさせられます。


もしくは楽器の数からシンプルにまとめられている先程の曲とは裏腹に、楽器の種類自体は割と豊富なのにそれぞれの音が小さいというアプローチの仕方も関係しているかもしれません。

タイソン・ゲイウサイン・ボルトが2人で100m走対決をしているのと、小学生が8人でかけっこをしているのならどっちが白熱するかみたいな。

スプリンター

スプリンター

  • 菅田 将暉
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テンポの話も少し。『真っ白な世界』『ナモナキヒト』『そういう人になりたいぜ』などのバラード曲はテンポがゆったりしている分、一音一音を大切に響かせている印象を受けます。

それに引き換えマスクチルドレンはその性質上、次から次へと音が流れていく為にそもそも余白一つ一つの恩恵が少ないのではないでしょうか。余白の作り方がアップテンポなこの曲に不釣ーり合ーい。

ギターに比べてピアノの印象が薄いのも、その楽器の音をどれほど伸ばしていられるか、どこまで爪痕を残せるかという特色が関係している気がしました。



ラスサビへのお膳立ては新言語秩序と似ている


ラスサビだけ切り取ると編曲の塩梅も含めて結構好きだったりします。

居ても立っても居られずに 家とは逆の方向へ
後ろめたささえ晴々 同じようで違う朝焼け
理想叶える為犠牲になってくれ 最低な幕開け
この始まりを照らしてくれ

ここからドラムの手数が増えることで居ても立っても居られない感じが表現されていて良いですよね。ここに盛り上がりのピークを持ってくるために前半部分が犠牲になってる説まであります。


そういうカタルシス型の何かをamazarashiでも聞いたことがあるような…。


と思いあれこれ思考を巡らせると、その正体が『独白』のカタルシスに全振りされた新言語秩序だと気付きました。僕にはあの曲自体が刺さらなかったので大ズッコケでしたが。笑


そんな優遇されたラスサビには、実際に1番2番のサビとの差別化を図られた贔屓ポイントがありました。


まずはサビ全体のフレーズがもう一回繰り返されること。『古いSF映画』『ハルルソラ』などごく一部の楽曲でしか見られない、amazarashiにとっては珍しい手法です。移調に関しては一度も使われたことがありませんが、流石にいつかは取り入れられるんでしょうね。

テンポの速さも相まって2番までは風のように過ぎ去ったサビのモヤモヤが、この畳み掛けで一気に昇華されます。思わず「そうそう、これを求めてたんだよ」と言いたくなるような。クライマックスに相応しい連打が響き渡るドラムもそれを増幅させています。


2つ目、実はラスサビのみハモリが少し高くなっています。具体的には「えーーーい↑えーー」って最高音に触れた直後の音、カッコ内で言うところの2番目の「えーー」以降のハモリです。

他のサビの印象が薄いのはこれも少なからず影響しているのでは。メインボーカルと離れるほどあんまり絡み合いませんからね。

となると、2番までのボルテージが意図的に抑えられているのは明白かと思います。


別に、1番のサビが控えめなのはむしろ僕の好きな手法なんですよ。『命にふさわしい』『月が綺麗』『未来になれなかったあの夜に』は“展開の美しい曲三銃士”として僕の脳裏にその名を刻まれています。

けれども2番、3番までそれが続くのはあんまり得意ではなくて、ニューアルバムではマスチルはおろか『夕立旅立ち』もそっち側へ行ってしまったのが残念でした。それもまた理論武装解除の方が良いって言われがちな一因なんじゃないかと思ってます勝手に。

youtu.be

話を戻して、そうやってラスサビで盛り上がったのは良いものの、アウトロがその高揚感を引き継がずに「はい、そんじゃ曲締めまーす」って素っ気ないのも“終わり悪ければ全て悪し”感を増幅させると考えているのですが、それはまた別のお話。

これも新言語秩序でエンドロール後のもう一曲を期待してずっこけた僕にとってはツッコミどころの共通点を感じます。

それ故、新言語秩序のやり方に満足出来なかった僕ならではの感想とも言えるかもしれません。


とか言いつつも、朝一のぼやけた頭に流し込むにはちょうど良いアレンジなので僕にも何気に需要があります。足りないままで幸福になってますね。



保険かけとく


今回僕がケチをつけた2曲に共通しているのは「好きな部分があるからこそ好きじゃない部分に焦点が当たる」ということ。言ってしまえば、僕が本当に興味の無い曲をブログでわざわざ取り上げることはありません。


って言ったからには好きな曲を褒めちぎる記事はそろそろ書き終えないとなあ。『パーフェクトライフ』と『ハルキオンザロード』が1年半ほどスタンバっています。