こんばんは、ダーレクです。小さなテーマだとスラスラ書けることに気付きました。
今回は『たられば』について
この曲は自他ともに認める名曲ですが、初めて聴いた時からずっと違和感を抱いていた歌詞があります。
もしも僕が優しい人だったら 困ってる人は全員助ける
見て見ぬ振りで素通りして 惨めな気持ちになるのは、もう嫌だ
本当に優しくない人間ってのは、権力を握ったばかりに好き勝手やってしまう厚顔無恥な政治家、ホームレスを撃退する排除アート(笑)の心無い考案者などを指すわけで、
秋田さんは人を助ける勇気が出ないことを悩んでる時点でどう考えても既に優しい心を持ってます。ほら後一歩だ。
僕は強い人間になりたかった
僕は優しい人間になりたかった
完璧な人間になりたかった
こちらは『たられば』の詩の冒頭ですが、どちらかと言うと秋田さんが目指してるのは勇気のある“強い人間”じゃないでしょうか。
前述の歌詞は論点すり替えに感じます。
てか「なりたかった」ってなんだよ。少なくとも二つ目は今からでも十分実現できるじゃん。
「わい、優しくないから困ってる人を見て見ぬ振りする度に惨めになっちゃってもうやだ〜」
僕が捻くれ者なのかもしれませんが、こんな自虐風自慢が見え隠れして正直ダサいと思います。
流石に言い過ぎました、失礼しました。
それはそうと、こんな歌を聞いた事があります。
謙虚もつつましさも むやみに過剰なら卑屈だ
この曲は『たられば』の詩の一部を引用したりもしていますが、もしかしたら自分に言い聞かせる意味もあったのかもしれません。
そんな謙虚で慎ましくて優しくて、ついでに卑屈な秋田さんですが、彼は今まで一体何人の困ってるリスナーを助けてきたと思っているんでしょうか。
何度、僕の一日を笑顔で終わらせてきたと思っているんでしょうか。
(特にラジオの日はウキウキで眠れません)
今日はもう『たられば』聴いて寝ます。おやすみなさい。
あ、ところで今日は「青の帰り道」の公開日だったみたいですね。観に行く気無かったけど折角だから明日にでも観てみようかな。