雨曝しな気持ちは言葉にするべきだ

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amazarashi大好き系ブログ

【総括】7thフルアルバム「永遠市」の感想を5ヶ月半煮込みました

こんばんは、ダーレクです。


7thフルアルバム「永遠市」のリリースから5ヶ月以上が経ち、ツアー全公演が終了してからも月日が流れ始めていますね。

直近2ツアーが長丁場だったこともあり、爆速でピークが過ぎ去ってしまった寂しさを噛み締めている最近です。

あとは東京国際フォーラム公演の映像化を待つのみですが、これは単品というよりシングル盤の特典になったりするんでしょうか。(意味深)


さて、そんな中で本題に挙げたいのは、散々僕が先送りにしてきた“収録曲の感想”について。

リリース当初の感じ方と比較しつつ、ツアー後まで温めたなりの考察込みで書いていきたいと思います。(長文注意)

アルバムの全体像は前編(?)国立国会図書館の件でざっくり洗ったので、今回は歌詞やサウンド面にフォーカスしています。


サウンド面といえば

豊川さんの“声の出演”まとめ


近年のアルバムでは3曲程度の降臨が平均だったのですが、今作はその倍で6曲もあるんですよ。秋田さんめちゃめちゃ味占めてるじゃないですか。

  • 下を向いて歩こう(サビ)
  • アンチノミー(間奏)
  • ごめんねオデッセイ(〆)
  • 君はまだ夏を知らない(あー)
  • カシオピア係留所(ふー)
  • ディザスター(ディザスター)

ちなみに、秋田さんの裏声ハモリも地味に3曲収録されています。

過去作では『奇跡』『数え歌』『バケモノ』などが思いつく程度で結構レアなイメージですが、今作は豊川さんと併せて大盤振る舞いのようです。

  • 君はまだ夏を知らない(サビ)
  • スワイプ(サビ)
  • まっさら(Bメロ)

そもそも豊川さんのコーラスと秋田の裏声って絶妙に声が似てるんですよね。

特に『スワイプ』のユニゾンはしばらく豊川さんだと思い込んでいました。息の無理してる感と奥行きの途切れ方から、今は恐らく秋田さんだろうと思ってるんですけど。


音域が控えめなアルバムだよね


2023年は『アンチノミー』『スワイプ』と立て続けに地声最高音の優しい曲がリリースされ、アルバム内の新曲でもその流れは健在でした。

試しに(短編ポエトリーを除いて)地声最高音ごとに直近3作で比較してみましょう。いつも通りならhiAとmid2G#に密集するはずなんですよね。

hiA
「ボイコット」
帰ってこいよ、さよならごっこ、月曜日、マスクチルドレン、そういう人になりたいぜ
(5曲)

「七号線ロストボーイズ」
火種、境界線、ロストボーイズ、かつて焼け落ちた町、アダプテッド、戸山団地のレインボー、アオモリオルタナティブ、空白の車窓から
(8曲)

「永遠市」
下を向いて歩こう、自由に向かって逃げろ、カシオピア係留所
(3曲)

【mid2G#】
「ボイコット」
夕立旅立ち、アルカホール、抒情死、死んでるみたいに眠ってる、リビングデッド、未来になれなかったあの夜に
(6曲)

「七号線ロストボーイズ」
間抜けなニムロド、1.0
(2曲)

「永遠市」
ごめんねオデッセイ、超新星、まっさら
(3曲)

【mid2G】
「ボイコット」
とどめを刺して
(1曲)

「七号線ロストボーイズ」
(0曲)

「永遠市」
インヒューマンエンパシー、アンチノミー、君はまだ夏を知らない、スワイプ、ディザスター
(5曲)

収録曲数の微差が気にならないほど「永遠市」だけがmid2Gに集中しています。露骨にアルバム全体の地声最高音が控えめになっているのです。

高音祭りの「七号線ロストボーイズ」は名作を作るためにハッキリ聴かせるようなメロディが多くなり、今作の偏りは自分の殻に閉じこもってポエトリーの延長戦のように呟く楽曲が多いからではないか。

というのが僕の立てられる仮説の限界でした。ご意見求む。

dalek-amz.hatenablog.com

各楽曲の感想


【アルバム一周目の印象強さランク表(2023年10月24日)】
S:超新星
A:インヒューマンエンパシー、君はまだ夏を知らない、まっさら
B:アンチノミー、下を向いて歩こう、スワイプ、カシオピア係留所
C:ごめんねオデッセイ、自由に向かって逃げろ、俯きヶ丘、クレプトマニア、ディザスター

【無性に聴きたくなる度ランク表(2024年4月10日現在)】
S:超新星
A:ごめんねオデッセイ、君はまだ夏を知らない
B:インヒューマンエンパシー、俯きヶ丘
C:下を向いて歩こう、アンチノミー、自由に向かって逃げろ、スワイプ、カシオピア係留所、クレプトマニア、ディザスター、まっさら

初日から一貫して『超新星』の無双状態。羽ばたく鳥を見かけると脳内再生されるレベルで好きです。僕が口ずさむ曲の約6割を占めています。(体感)

最近はスルメ曲を好きになる流れも落ち着いてきました。強いていえば『ごめんねオデッセイ』『君はまだ夏を知らない』『俯きヶ丘』の3曲は、聴きたくなる度でSランクに並びかけた経歴があります。

一方、僕の中で不遇な立ち位置なのが『クレプトマニア』ですね。アルバム全体を聴き込む前にツアーを食らったせいか、セトリ入りの有無でもろに愛着の格差が生まれているようです。

01.『インヒューマンエンパシー』


試聴の段階では「自分欺き嘘つくのはどんな気分だい」という歌い出し以外は明かされておらず、近年のセオリー通り「君」に寄り添う展開を予想していました。

ところが実際に聴いてみると、次の瞬間には「下らなくて泣けてくる最低だよ」と自問自答で終わっているじゃありませんか。全然「君」路線じゃなくて一本取られた気分でした。


初日は歌詞カードを封印して聴くのが僕流なので、基本的に第一印象はメロディの話が大半を占めます。

Aメロは『馬鹿騒ぎはもう終わり』のサビを大人しくした版じゃんって試聴の頃から思っていました。

サビの歌い出しは『あんたへ』を四拍子に直したようなメロディーライン。これに関してはロスボツアーで沢山歌ってきた影響を受けたのだろうと勝手に思っています。

逆に「生まれた場所は選べずとも〜」にはamzらしからぬ王道キャッチーな曲調が取り入れられており、年月の流れを教えてくれるような新風が心地よかったです。


サビの歌詞は『美しき思い出』『たられば』等ともリンクする「成り立ちの肯定」とお約束の「それでも」がブレンドされており、非常に王道のamazarashiを楽しめる内容となっています。

4分50秒を費やしたからこその両立であり、短編ポエトリーには真似できないアルバムの幕開けを飾ってくれました。

いつにも増してしつこい最後の「おお」にも需要を満たされました。普段こんなに連発してくれないのに珍しいですよね。


さて、原作を読んだ後はSF小説“宇宙の漂泊者”からアルバム名(永遠市)を引用したのは収録予定曲がほとんど揃ってからで、字面のSFっぽさを補完するために『インヒューマンエンパシー』を書き下ろした。」という考察に至っています。

それはそれで、今度はインヒューマン要素がAメロの比喩しか該当していないように思えてくるんですよね。『爆弾の作り方』の歌詞っぽくもあって懐かしくなるシリーズ。

新品にいっそ交換はできないもんかね 9Vの電池みたいに人生も

血液の代わりに血管を流れている メランコリーが傷口から溢れぬよう
社会性の絆創膏を張り替えたら 通勤電車も痛くない 痛くないよ

曲名からして宇宙人目線なのかと思いきや、意外と心理的表現に限られているインヒューマン要素。

要するに「相対性人」にあたる立場の苦悩を歌っていますが、どうしても語呂的に「インヒューマン」と歌いたくて、言葉のつじつまを合わせるために人外チックな比喩を後付けしたんだと考えています。

そのため作詞の方向性によっては『再出航』等シンプルな曲名になっていたのかもしれません。


最後に、歌詞について「宇宙の漂泊者」とのこじつけ解釈を色々思いついたのでご紹介します。

僕ら始めようとしてる じっと待ってたわけじゃない
信頼に足る未来を選んでただけ ずっと

小説内ではある意味、塩梅次第でどんな未来までも飛んで行けると言えるため「未来を選ぶ」と表現するのもあながち間違いではなさそう。

歌っている内容は『命にふさわしい』の「全部を無駄にした日から〜」と近いですね。

生まれた場所は選べずとも 生きる場所は選ばせてくれ
インヒューマン インヒューマン 叫べ

そのまま受け取るなら「過去は変えられないけど、未来は変えられる!」という王道のやつ。

もっとそのまま受け取るなら「生まれた場所(時代)にはもう戻れないけど、これから生きていく場所を選ぶ権利はある」って原作再現になり得ます。秋田さんならどっちも含んでいる気がします。

下らない毎日に付箋の代わりに 情熱と没頭を夥しく挟み
下らない鬱屈にアンダーラインを引き 言い訳と抗弁、肯定のコラージュ  
ねえ まだ足りない 欠けた過去埋め合わせる 説き伏せるもの ああ

ここは小説と無関係ですが好きなので。

下らない毎日を情熱と没頭に費やし、下らない鬱屈に言い訳&抗弁&肯定をペタペタ貼り付けるという、amazarashiの昔ながらの手法。いわゆる「“どうせ僕なんか”を武器にする方法」というか「“爆弾”の作り方」が要約されています。

「(その作業が)まだ足りないからもっとやらせろ」と秋田さんは言います。それがツアーで語られてきた「一生音楽を続ける」なのでしょう。惜しむらくはこの曲を理解できたのがツアー後だったこと!また歌ってください!

見捨てた全てに笑う せいせいしたと手を振る

第一印象は「(自分を)見捨てた全てに笑う」だったのですが、小説を読んでからは「(自分が)見捨てた全てに笑う」の方が自然な文脈だと感じてきました。

同世代が死んだ後の世界に飛び立つわけですから、主人公は見捨てる側なのです。

ここの解釈によって「せいせいした」のニュアンスも変わってきますよね。

地上で手を振っていた『百年経ったら』は捨て鉢な印象を受けましたが、旅立つ側のセリフだと前を向くための自己暗示にも聞こえてきます。そういうのエモいっすね。

インヒューマンエンパシー

インヒューマンエンパシー

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02.『下を向いて歩こう』


先行配信の感想から変わった点といえば、明るいメロディや疾走感溢れるアレンジのスルメっぷりに身体が慣れてきたことが挙げられます。

全体的にしっとりした楽曲が多いアルバムなので、長く聴いていく中でこの清涼感は結構オアシスなんですよね。

歌詞のリズムや意外に癖のある主旋律も気持ちよく、当時の想像以上に口ずさむ機会の多い楽曲となりました。脳内再生でもドラム捌きやラスサビの入り方が気持ちよすぎます。


正直、最初の1ヶ月は『インヒューマンエンパシー』の方がリード曲にふさわしいんじゃないかと思っていました。

というか(アルバムとして見れば)未だにそう思いますが、amazarashiが刻む1ページとしてはこちらに軍配が上がるでしょう。より秋田さんの脳みその源泉に近い場所で採れたリリックですからね。

『ごめんねオデッセイ』『超新星』などもアルバムの本質を打ち出している中、この曲だけはメロディで明るく振る舞っているのが特徴。

文字通り下向きな歌詞とミスマッチな明るいメロディ、ちぐはぐさを増幅させる豊川さんの美しいコーラス。休養中の心境ということで、ぐちゃぐちゃな感情を擬似的に落とし込んでいるのでしょうか。

繰り返し聴いているうちに、そんな虚勢の味わい深さも楽しめるようになってきました。

終わってるんだよ 誰も彼も 俯く顔 
照らし出す朝が来た 燃え盛る空に 背を向けて行く 
僕ら下を向いて歩こう 空には青 心に遮光 
ここでしか見えないもの 知り得ぬこと 綴る 
太陽でも照らせはしない 名もないあらすじを

初聴では特にサビ頭の「終わってるんだよ 誰も彼も」が意味不明でした。これは結果的にそのままの意味なんでしょうか。

休養中の気持ちが反映されているのは確かだし、「誰にだって辛いことはある」をドン底語に翻訳するとこうなる的な?

つまり「ドン底ならではの景色を綴る」と言っているとして、それを豊川さんと清々しく歌うんですよね。なるほどわからん

下を向いて歩こう

下を向いて歩こう

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03.『アンチノミー


ニューアルバムを待っている期間は随分とお世話になりました。発売後もツアーで大活躍だったので、結局現役で僕の脳内を突っ走っています。

アニメ予告PVではサビの三拍子詐欺に「なんじゃこりゃ」と唸らされたものですが、今ではその癖を楽しむために再生している節があります。

タイアップ曲ということで、大体の感想は当時の感想が語ってくれていますね。

アルバム発売後に感じた事といえば、歌詞的にはこっちの方がよっぽど「インヒューマンエンパシー」だった点でしょうか。「非人間的な人間」と「人間的な非人間」なら、僕には後者の方がそれっぽく見えます。

そういう意味では『インヒューマンエンパシー』の直後に置かれていても良さそうなもんですが、オリジナルアルバムの2曲目にはタイアップ曲を置かないという慣わし故か『下を向いて歩こう』が間に挟まっています。

アンチノミー

アンチノミー

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04.『ごめんねオデッセイ』


リリース当時、僕から見える範囲ではこの曲を推している人が一番多かったです。

逆に個人的にはアルバム1周目の印象がめちゃめちゃ薄く、ツアーで叩き込まれながら理解を深めていった曲でした。2周目も「木漏れ日を〜」しか思い出せなかったような。

こんがらがった胸の内を吐露するポエトリー曲は、歌詞の情景を思い描けるようになるまで「メロディーが欠落しただけのボリューミーな曲」って印象が先行するんですよね。

予め歌詞が明かされていた『曇天』やリリックビデオ付きで生まれた『それを言葉という』とは状況が異なる上に、今回はいつにも増して詩的かつ情緒的な歌だったので尚更です。

具体的には「体調不良があってもやっぱり音楽を続けたい」という等身大の感情で前に進む歌なんだそう。次から次に流れ込んでくるポエトリーで、その葛藤や自問自答を追体験することができます。


また、歌詞のボルテージと連動して移り変わる繊細なアレンジがこの曲最大の魅力だと思っています。

中でも1番Bメロ「行けども」に入った瞬間の、ブゥーンと低音域を支え始めるストリングスの目覚めがお気に入りです。モノクロな走馬灯に木漏れ日がもたらされる兆しが見えます。

着実に希望が積み上がっていく3番の展開も捨てがたいですね。生のエネルギーが滲み出ているドラムの鼓動とか、ポエトリーを後押しするように色彩を取り戻していくピアノの旋律とか。


歌詞については全ての箇所に触れていく勢いだったので、当初の半分くらいに絞りました。

「詩」と打ったら思いがけずに「死」と変換される

『空洞空洞』のBメロ「空っぽな奴ほど詩を書きたがる」のイントネーションが完全に「死」で、リリース当時は誤認されたりダブルミーニング説が唱えられたりしていたのを思い出しました。

午前11時 待合室で待ちぼうけ 来るはずのものは来ないんだと気付いたからこその身の上
風が揺れて過ぎ去って カーテンレールが鳴らすオクターブ 呼ばれた名前が自分なのかすらも疑う
旅の結論に至る場所がこんな所とは まさか まさか と嘆いたのは夏の彼方
裸さながらあらわな雨傘 ならばただたださらば

休養中の病院通いがフラッシュバックしているようにも聴こえますが、時系列的にめっちゃ浮くので過去の出来事なんですかね。

秋田さんの人生を振り返って「来るはずのものが来なかった」といえば『ひろ』で歌われている彼のエピソードが有力でしょうか。「まさか」「さらば」が示す対象もしっくり来ますし。

どう見てもポジティブ寄りな「さらば」でサビに入るため、「裸さながらあらわな雨傘(?)」がキッカケとなって前を向く方法に気付いたという文脈に見えます。

言葉選びと温度感が似ているのは『しらふ』の「剥き出しの肌で受け止める現実の雨」ですね。この場合「嘆いているくらいならずぶ濡れで走っていけ」とamzらしい思想に変換できるんじゃないでしょうか。

失ってから気付くんじゃない気付くために失った そう言い聞かせれば後に発火して眩いユリイカ
観客席は今日も今日とて騒々しい無人だ 過去と未来が顕現する耳鳴りとスピーカー
疑いと確信の両翼で僕らは少し進む 項垂れた影が落ちる、日に焼けたリノリウム
陽の出る時を拒む、夜に住まうヒロイズム 過ぎた分は抜け目ない偽らざる一滴

「騒々しい無人」というワードが出てきました。昨年6月のアコースティックライブのタイトルはここから逆輸入したんですってね。

秋田さんが僕らのことを「拍手するじゃがいも」と思っているとかじゃなければ、やはり路上ライブ時代を思い出している説が濃厚だと思います。

「下を向いて歩こう」と言わんばかりのフレーズも交じっていて、流石このアルバムの核となった楽曲の表現はブレませんね。

行けども行けども降り積む雪ばかり 終わりは見えない ごめんねオデッセイ

サビでは一貫して自らのオデッセイ(長旅)に謝っている訳ですが、1番2番と3番で「ごめんね」に込められた意味合いが若干異なる気がしました。

秋田さんが再起に至っていない中で吐露した方は「(なかなか抜け出せなくて)ごめんね」と自身の不甲斐なさを嘆いているようです。

反対にラスサビのそれは「(さっきは心配かけて)ごめんね」と、これからも音楽を続けていきたい気持ちに直結しているように聴こえるんですよね。

『逃避行』のラスサビ「そんな僕らの長い旅の 先はまだまだ遠いみたいだ」みたいな、オデッセイの果てしなさを楽しもうとする気概が感じられました。

ごめんねオデッセイ

ごめんねオデッセイ

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05.『君はまだ夏を知らない』


さっきまで散々欲しがっていた木漏れ日のようなイントロが始まります。秋田さんの思考が前向きになった流れでこの曲順になっていそうですね。

ごめオデとは対照的に、一発で歌詞の情景が入ってくるキャッチーな曲でした。あとamazarashiにしては曲調がJ-POPすぎてビビりました。

サビは『この街で生きている』譲りのゆるやかな雰囲気です。リリース当初は「君が見るもの全ての傍らに 明日の道しるべ 探してる」という脳内再生に抗うのが大変でした。

そして珍しく秋田さんのハモリが裏声に突入しています。基本的に裏声の音域まで頑張るくらいなら、下でハモるか豊川さんに任せるのが定石なんですけど。むしろ裏でコーラスに徹する豊川さんとのあざとい三重奏がそこにありました。

掌の上の小さいスノードーム 僕から見れば 君の世界は

そういやBメロのキーをぶち上げたメロディなんですねこの部分。

2回目のサビから急に聴き馴染みある展開になって「あぁー!(そういやこれまだ流れてなかったな)」と呟いたことだけ覚えています。

ショートで試聴した当時は「僕から見れば 君の世界は」に続く歌詞で“主格補語”が明かされるだろうと楽しみにしていたのですが、蓋を開けたら単に倒置法になっていただけで「掌の上の小さいスノードーム」がそれだったんですよね🙃

季節が留まり永遠ならいいな だって僕はまだ夏を知らない 
たった七つしか

僕は君との夏を知らない
たった七つしか

僕にとって「夏」とは君抜きでは成り立たない概念なんだよ、と言いたげなラスサビの念押しがよく効きます。

初聴を終えた僕のリアクションは「(結局、君も夏を)ちょっと知ってるじゃんw」でした。


この楽曲の読み取り方として「秋田さんに七歳前後のお子さんがいる」という説が有力なようで。確かにツアーの紗幕も子供との関連性を仄めかしていました。

妄想が捗ったのは、イントロ&アウトロに混じっているザザザ…という音。1番の歌詞から少なくともドライブ中で、雨音にも聴こえたり人それぞれでしょうけど、僕には何か長い物を引きずる音に聴こえました。

例えば太めの木の枝をアスファルトや固い土に引きずったらあんな音になると思うんですよね。海辺で何かを描いたりとか、はたまた意味もなく持ち歩いたりとか、いかにも七歳くらいの子供がやりそうじゃないですか。

そんな様子を眺めていたら僕も「あーこの子はまだ七つしか夏を知らないんだなー」って感じそうですもん。そう言語化する想像力があるかは別として。

  • この先は全部想像だ定期

7年前と言われて思い当たるのは、秋田日記にて「たられば」の歌詞が公開された直後の豊川さんに色々あった話。あんなに平気そうなテンションで書かれていたのも今思えば違和感MAXです。

あの投稿日、2015年9月4日を仮に誕生日とすると、22年の9月に7歳を迎えます。ライナーノーツの文脈的にも『君はまだ夏を知らない』はアルバムを制作する中で生まれた曲っぽいので、時期の計算もぴったり合ってしまうのです。

しかし、僕の中で引っかかっているのはライブでの目撃情報について。豊川さんは「たられば」のわずか19日前、豊洲PITの5周年ライブにも普通に出演していたっぽいんですよね。

一切映像化されなかったのはシルエットの秘匿も兼ねていた可能性が考えられますが、それにしても爆音の渦中に座っていて大丈夫だったんでしょうか。

なにせ当事者になった経験がないのでそういった線引きは分かりませんが、じゃあ逆に豊川さんがライブをお休みする時はどんな事情があったのか疑問に思えてきます。

【豊川さんライブお休み歴】
2014:あんたへツアー
2018:Aimer対バン、メメモリツアー、フェス2回(武道館だけいた)
2019:フェス3回(ツアーはいた)
2021:APOLOGIES 雨天決行

一応、年齢についてアナザー解釈を探してみると、「あんたへ」ツアーの休養がその期間にあたって、コロナで外出できなかった2年間をサバ読んでいるとか…?

とまあ情報収集をしているうちに検索履歴が激キショストーカーになってきたので、今回はこの辺にしておきましょう。

君はまだ夏を知らない

君はまだ夏を知らない

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06.『自由に向かって逃げろ』


イントロは希望に向かって突き進んでいくようでもあり、逃走する後ろ姿を美化したようでもあります。ファンタジーならではの若さ溢れる思考回路がアルバム内では異彩を放っていますね。

君夏が完成したことで、子供心の共通点を見出して収録が決まったのでしょう。あの曲が生まれなかったらリリースはまだまだ先の話だったのかもしれません。

「いつか必ず上手く行く」 ならそのいつかを教えて

試聴時の『俯きヶ丘』でも触れた、末法独唱の「そのいつか」が言ってるそばから再登場。

というかライナーノーツの古い曲宣言により、下手したらこっちが始祖だった可能性すら出てきました。

確かに曲名のつけ方も含め、2013〜15年くらいに秋田日記で公開されてる詩っぽさを感じます。

逃げた先に自由があると信じて疑わない姿勢もなんだか昔の秋田さんっぽくないですか。今なら「どこへ逃げても結局〇〇だから〜」と悟りきった前提で歌ってそう。

巨大なリバークイーン号が太々しく川を行く
その横をちっぽけな筏ゆらゆら

『インヒューマンエンパシー』『君はまだ夏を知らない』に勝るとも劣らないほど好きなCメロです。

ひとつまみの非和声音で不穏さを演出したり、弦楽器陣でリバークイーン号の重厚感をゴゴゴ…と掻き立てたりと、メロディーラインやアレンジの寄り添い力の高さこそが最大の魅力。

その場の情景や主人公の心情が容易に想像できて、まるで映像作品を観ているかのように感情移入してしまうんですよね。

「いいか見ろよあの筏が 僕らなんだ 今に沈みそう
だけど自由だ 君次第だ あの夕日を 撃ち抜くのだって」

夕焼けに誓ったんだ

筏に視点が移ると同時に大人しくなる音楽。ちっぽけさが痛いほど伝わってきます。

しかしセリフを言い終えるとまた一転、曲全体が再び覇気を取り戻し始めるのです。その高まりの中でラスサビにバトンタッチ!

最後だけ「いつかに会わせろ」へと語気が強まるのも胸熱ですね。だからこそこの希望から『スワイプ』に突き落とすのはひっどい仕打ちだなぁと思いますけど。笑

『空に歌えば』に繋がったツアーの曲順を見習ってほしいですよまったくもう。

自由に向かって逃げろ

自由に向かって逃げろ

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07.『スワイプ』


確かにフィクションという括りでは前曲と繋がっているものの、何度見ても夢と現実の落差が激しすぎてジワジワ来ますね。

当時の感想からの心境の変化も特にありませんが、楽曲の総合力でいえば、僕は『スワイプ』こそ2023年の最高傑作だと思っています。

世界観に呑まれた度は歴代でも『命にふさわしい』に次ぐレベル。楽曲のパワーに呑み込まれて呆然とする体験はこの2曲しか記憶にありません。

amazarashiにこういう角度で心を動かされることはもう無いだろうと高を括っていた僕には嬉しい衝撃でした。今年もよろしくお願いします。

スワイプ

スワイプ

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08.『俯きヶ丘』


アルバムの並びとしては『スワイプ』のMVに出てくる青年Aがトリップしたって設定で勝手に噛み砕いています。あの穴の向こうに宇宙が広がっていても驚かないもんな。

曲の本来の立ち位置は、秋田ひろむの脳内旅行を正規ルートに戻すためのインタールードだと捉えています。

前半と後半で雰囲気がガラッと変わる構成も、本当に『スワイプ』『カシオピア係留所』を繋ぐワームホールみたいで面白いですよね。

あと結局「俯きヶ丘」ってどういう意味なんでしょう。「俯き顔(下を向いてる)」と「上空の地層」を丘に見立ててガッチャンコした造語だと思い込むのが限界なんですけど。


あまりにも攻めすぎなサウンドからは、どちらかと言うとシングル盤の2曲目っぽさが漂っています。

「そういう風にできてないって」「袖を通す夜行性の虫」の囁きハモリが地味好きポイント。

キーの上がった「秘めた意志〜」からサビで始まったかと思えば、なんだか奇妙なメロディでなんとなく終わるので、第一印象を言語化できないままカシピに移ってしまった思い出。

個人的には色々あった曲でもあって、大好きな『超新星』の次にリピートしてきたと言っても過言ではありません。

音に注目するとだまし絵みたいなんですよね。たまにこういう曲が生まれるから短編ポエトリーはやめられないってばよ。

いつかがまだいつかであったとき

『自由に向かって逃げろ』と同様に末法独唱の「いつか」に触れられています。

こっちでは逆にもう「いつか」に到達しているようですけど、到達点として考えられるのは“1.0”でしょうか。

曲順を振り返るとこれまた『スワイプ』が挟まっているんですよね。悪夢かよマジで。

ああ我が故郷の 遠きエアレンデル
置いてきてしまった 未熟な涙が スペクトル観測にて発見された 

枯れて咲く 痛みに似た 生命のほとばしり
忘れ去る 上空の地層に 埋めた亡骸を
掘り返して 掘り返して ただ暴いて 連れ帰る
掘り返して 掘り返して 腐敗として 連れ帰る

僕はもちろん『ハルキオンザロード』の2番Bメロ「想像力で飛べるなら宇宙の果てじゃなく僕の中 見たい景色を掘り返す 墓暴きみたいに掘り返す」を想起しました。

上空に埋まった(?)秋田さんの過去をちょっと拝借していく曲っぽいので、意外と『クレプトマニア』と似たようなことを歌っているんですよね。

「エアレンデル」とは最も遠い恒星を意味しているそうで。ちゃんと自ら光を放っている辺り、秋田さんの自信とこだわりが感じられます。

俯きヶ丘

俯きヶ丘

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09.『カシオピア係留所』


当時の感想で割とボロクソ書いたのは覚えています。

前例『月曜日』に比べて、原作の良さを全然説明し足りていないのが当時は不満で仕方ありませんでした。(アニメでもう1曲キボンヌ)

逆にいえばamazarashiのエゴを通しているだけあって、何かを残そうとする強い意志はアルバムとめちゃくちゃマッチしているんですよね。

「そういう奴らの作品には常に血が混ざってる」と言われて「血の跡じゃん」って脳内ツッコミが入ったりとか。

だからこそツアーに顔を出す気配が1ミリも無かったのが意外すぎる楽曲でした。さてはアニメに合わせて2024年に温存したな?とか勘ぐってますよ僕は。


余談ですが、付属詩にも強く共感しました。思い出を振り返って「歳とったなあ」ってため息つくの、本音を言うとちょっとだけ楽しいんですよね。

カシオピア係留所

カシオピア係留所

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10.『超新星


曲順が『カシオピア係留所』と連なっているだけあって、「チ。」とのコラボレーション適性を負けず劣らず感じられるamz界の超新星

なんなら「やり遂げたい」「遺したい」という意志がよりダイレクトに伝わってくる分、こちらの方が僕が本来聴きたかったコラボ曲のイメージに近かった説も浮上しています。

いずれにせよ、あの日欲しかった要素が棚ぼた的に補完されているのは普通に嬉しいですけどね。


この曲に関しては好きすぎて本筋の収集がつかなかったため、特別に単独記事を建てて感想や考察をまとめました。

そちらで「失ったらもういいぜ」「僕だったら超新星」の謎にも迫っています。(?)

超新星

超新星

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11.『クレプトマニア』


(ラスト3曲は試聴映像を封印して初めからフルで聴きました。)

アルバムのラストスパートを叩きつけるポエトリー曲。イントロからアウトロまでやる気と疾走感に溢れています。

アルバム詳細の発表時は突拍子のない曲名に戸惑いましたが、自分を盗むタイプのクレプトマニアだったんですね。確かに秋田さんは、気に入ったフレーズやメロディを定期的に忍び込ませる人です。(今日をスワイプ!)

『ごめんねオデッセイ』や『俯きヶ丘』でも過去の自分を思い出してますし、音楽活動について語ろうとすれば必ず付き纏ってくる影なのかもしれません。


以下、僕の脳みそで連想できたものを羅列しておきました。もちろん無理矢理こじつけたフレーズも含みますが。

振り向いたって何もない

『ライフイズビューティフル』ラスサビにある屈指の決めゼリフ「振り向くな後ろには花も咲かねぇ」が元ネタでしょう。

amazarashiのセルフオマージュを連発している曲だけに、歌い出しから贅沢なチョイスです。

今までさよならした人達 無事を祈ったって独りよがり

別れの歌で何度も描写されてそうにも思えますが、僕が連想したのは『祈り』の「僕は大丈夫 そっちはどうだろう」「届けたい声が届かない距離に」辺りのフレーズでした。独りよがりの意味がちょっと食い違ってるかもなぁ。

したためる手紙は下手くそ でも伝わったんだ願うと

『1.0』の冒頭「いつも手紙感謝します」のくだりは、アルバムの制作時期からしても関係している気がします。

「(韻踏んでないし)不器用な歌だけど、わいの願いが伝わったみたいで良かった〜」みたいなニュアンスでしょうか。勝手に卑下しているので違ったらただの失礼なんですけど…。

言語と海、越えた暗喩の末路 国境破りエスペラント

『カシオピア係留所』のライナーノーツが記憶に新しいですね。ちなみに「宇宙の漂泊者」にもエスペラント語のくだりがあります。

いつか言われた負け犬の歌

映像作品「0.7」のMCにて「amazarashiは負け組の歌だ」と間接的に言われたエピソードが語られています。

最後につじつま合わせる僕等

そりゃあ『つじつま合わせに生まれた僕等』なんですが、MVの冒頭で読み上げられているポエトリーリーディングの一節「過去から見れば今日の僕が合わせるつじつま」が厳密な元ネタ(?)かと思われます。

ここが始まり 今日が旅立ち 君は幸い 死んじゃいない

「押しつぶされた僕の逃避行 上手く行かなけりゃ死んでやるぜ」「そんな僕らの長い旅が たった今始まったばかりだ」等など、『逃避行』の1番サビがそっくりだと思いました。

韻を踏んでコンパクトにはなってるけど、やっぱり丁寧に掘り下げないと膨らましきれない行間があるようにも感じますね。

どうせ死ぬなら世界の果てだ

死に場所を語っているのは『ワードプロセッサー』の印象が強いですね。「骨を埋めるなら故郷に でも僕の言葉の死に場所ならここだ」って。

それもあって永遠市ツアーでは1曲目に歌われるだろうと確信していたものですが…。

こっから先の事は知らない

『悲しみ一つも残さないで』の3番に「その先の事は僕も知らない」というフレーズがありますが、今回は当事者として発言されています。

全てが上手くいけばいい

『スターライト』の最後のフレーズ「いつか全てが上手くいくなら 涙は通り過ぎる駅だ」を思い出した人は多いでしょう。

今回は歌詞も曲調もポエトリーの読み上げ方も勢いがあるので、使い方や意味の込め方はちょっと違うのかもしれません。

こっちは大丈夫 大丈夫 人の心配なんてしなくていい

人の心配といえば『そういう人になりたいぜ』に登場する「君」へのアンサーのように聴こえました。

「バイトはちゃんと続けなきゃ駄目よ。新しい部屋は決まったの? 君は君の思う道を進んでね そういう君が好きだから」の続きを垣間見られた気がして勝手に喜んでいます。

うるさいときは耳を塞げ 好きに歌う理想だけ

言い回しはかなり違いますが、伝えたいことは『ジュブナイル』の2番Bメロと似ています。

「僕らに変な名前を付けたがるのはいつも部外者」「理想も語れなきゃ終わりだ」って。余談ですがこの歌詞めっちゃ好き。

失うものなどとっくにない 元はと言えば生きてる死体

『風に流離い』より、2番の「失うものなんて何も無い」やサビの「無気力のまるで生きてる死体」がバチコリ該当します。いずれも過去の自分を歌っているので、原曲の再現度(?)は曲中でも屈指だと思います。

騒々しく名乗るスピーカー

雰囲気でこじつけてる感もありますが、文法的には『ワードプロセッサー』の「演算式に喋り続けたワードプロセッサー」が似ていますよね。

サビはどっちにしろ「歌うなと言われた歌を歌う」と言わんばかりの主張が一貫しています。


総じて何かに似ている気がするけど、酷似しているって程じゃない部分も多く、秋田ひろむの言いそうな事スターターパックみたいな100秒でした。

めちゃめちゃ振り返っているからこそ『ディザスター』の手前に置かれているのかもしれません。そう思うと『逃避行』の後日談みたいな歌詞してんなあの曲。

クレプトマニア

クレプトマニア

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12.『ディザスター』


僕は座位で踊りながら初聴を迎えました。まさかノれる曲としてこの位置に佇んでいると誰が想像したでしょうか。しかも僕ですら余裕で歌える音域に収まっているので、カラオケ実装が待ち遠しい一曲です。

曲順的には馬鹿みたいにジメジメした6分半を期待していた節があって、正直な第一印象は「んぉーなるほど(´・ω・`)」って温度感でしたけどね。


中身はk4senさんモチーフと見せかけて、普通にamazarashiの現在の歌なんだそうで。コラボレーションの彩りとしてか、歌詞にはお互いの共通項であるFPS要素が散りばめられています。

明確に宛先があったおかげか、『ごめんねオデッセイ』や『超新星』よりも分かりやすい日本語を保っているのが特徴の一つ。韻の踏み具合もちょうどいいですよね。


アレンジは宇宙っぽく聴こえる瞬間もありますが、僕が浅学なだけで実は何かのゲームをオマージュしてたり…?

決して楽しげな歌詞ではないのに、妙な明るさが漂っているのが不思議で仕方ありません。Aメロの主旋律は低音ブツブツと中音グチグチが続くのでまだ分かるんですよ。

ところがサビは「笑えてくるぜ」という歌詞を体現するように、フレーズ間にゆとりが生まれたり豊川さんが参戦したり、曲調共々愉快な雰囲気に包まれています。

掘り返している過去は仄暗くとも、現在の目線に立ち返れば「懐かしすぎワロタwww」になるんでしょうか。休養期間を挟んだことで加わったエッセンスもあったり?

名シーンだけの人生じゃいられないな 不成功がもたらす栄光
延々待っても来ない順番は 不名誉が僕らの名誉で

映画っぽい言い回しが『下を向いて歩こう』の「これは映画じゃなく生活」を彷彿とさせます。というかツアーの口上で合体していましたね。

余談ですが、歌詞を知らない初聴の僕が「名誉」を聴いた際、脳内のもしかして検索で最初に出てきたのがまさかの「mayor(市長)」でした。

厳密には発音が異なりますが、一応名誉は「めいよう」とも読めるみたいで我ながら絶妙な空耳だと思っています。

「不名誉が僕らの市長で」ってamazarashiでもギリ歌いそうじゃないですか。アルバム名の伏線回収もできますし。(?)

向かい風に背を預けたら 図らずも追い風になった

ネガティブを武器にしたらポジティブな結果になったの喩えとしてamazarashiにはマッチしすぎていて、むしろ十数年も使われてこなかったのが不思議なくらいの天才的なフレーズです。

強いていえば『逃避行』の「死に場所を探す逃避行が その実 生きる場所に変わった」が近いでしょうか。

ディザスター

ディザスター

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13.『まっさら』


朝焼けの海辺で生の弾き語り聴きたいですよね。僕もそう思います。

『ディザスター』より曲名通りではあるんですけど、僕の想像よりも精神的というか達観していたというか。

ラスト2曲は『花は誰かの死体に咲く』『収束』のようなお通夜をイメージしていました。蓋を開けたら思ったより人間臭さにまみれています。


Aメロには『星々の葬列』『名前』の面影がちらほら。メロディに既存曲を感じることは珍しいことではありませんが、歌声が剥き出しになっている分、僕の記憶に直接語りかけてくるので気付きやすいパターンでした。

果てしない風景を思い起こさせるアレンジの楽曲が多い中で、あまりにもポツンと地に足ついている『まっさら』は相対的にめちゃめちゃ浮いています。

ツアーの終演後に流れていたせいか、最近は「葬式で流れてそう」ってイメージが強くなりました。嵐を越えてきた人の言葉に流れている音楽がたまたまああいうテンションだったみたいな。(?)

できればシンプルに生きたいな 大事なものは一個でいい
そう思っても増えてゆく 大事なものに苦笑い

大事なもの一個理論も共通していますし『そういう人になりたいぜ』に近いものを感じる曲です。

真っ赤とか明日とか、サビの雰囲気は『それはまた別のお話』と似ている気がします。アルバムの〆ではいつもこんな思考になるんですね。

その後の歌詞でも「白紙」「墓石」などハルキオンザロードフェチとしては興奮を隠せないワードがちらほら。

これまで傷つきすぎたから 多くは望まないってのは分かる
だけどときたま訪れる 喜びにも眉をひそめて

見上げた飛行機雲の 出所が見つからない
だけど存在したのは 確かだ 確かだ

『フィロソフィー』より「謙虚もつつましさも むやみに過剰なら卑屈だ」
『命にふさわしい』より「途絶えた足跡も旅路と呼べ」

両フレーズとも意味合いの似ている名言が過去作に存在します。(2番Bメロに集中してるのは偶然?)

それでも『まっさら』は前例のように単刀直入には歌わず、原石エピソードをなんとなく挙げて終わりなんですよね。

韻を踏みまくって暗号化する手法(?)ともまた違いますが、とにかくこの曲では婉曲的にメッセージを込めようとしているのが伝わってきます。

嵐の晩に僕は願う 全部消えろとそっと願う
消えたら消えたできっと泣く 最悪な僕を押し込める
明日はいいことがあるって 根拠がないと不安になる
だから根拠を探している 見つからないから泣けてくる

いつものなら逆転してくれるCメロもこんな調子。現状をあれこれ嘆いて、ラスサビも相変わらず「上書きしていくしかないね」のテンションで過ぎ去るので、結局これといった結論が出ないまま、イントロと同じ調子のアウトロで曲が終了。

確かに『まっさら』という曲名の通りではあるんですけど、希望を仄めかす言葉や強い感情を置いていかずにアルバムが終わるのは異色すぎてムズムズします。

アルバムの結末としては、下手したら『曇天』よりモヤモヤしている印象も受けます。


歌詞だけでは前向きに歩けているのかピンと来ない歌ですが、ライナーノーツ的にはその気持ちを綴れたこと自体が有意義な一歩になっているのでしょうか。

“to be continued感”は健在ですが、着地点が普段と違うだけに最後まで不思議な印象のアルバムでした。

まっさら

まっさら

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「永遠市」が意味するものと形作るもの


2ヶ月前の僕は「アルバム名は“宇宙の漂泊者”から後付けしたものだし、SF(宇宙)要素を持て余している点はしゃーない」という主旨の結論を出していました。

ところが『俯きヶ丘』でも触れた「想像力で飛べるなら 宇宙の果てじゃなく僕の中」を再考していた際、「“想像”と“宇宙”の果てしなさって似てるよな〜」と感じた記憶がフラッシュバック。

そう、アルバムの裏テーマとも言える「秋田ひろむの再起」の背景を振り返ってみると、休養中の果てしない“もやもや”が浮かんでいるんですよ。これって宇宙じゃないですか。(?)

『ごめんねオデッセイ』『俯きヶ丘』のイントロは顕著ですし、曲調だけ妙に明るかった『下を向いて歩こう』への違和感もその一環と捉えれば納得がいきます。結論の見当たらない『まっさら』もまた然り。


つまり「秋田ひろむの頭の中をさまよっているアルバム」という結論が過去最高にしっくり来ています。急に綺麗なものを思い出したり少年期の記憶っぼい曲に寄り道するのも頭の中だからです。

軸となっている楽曲には「音楽を続けたい」という気持ちが一貫していますが、“秋田ひろむ語”から“日本語”へとコンバートしないまま世に放ったばかりに、一般的には理解に苦しむ歌詞がやたらと多いアルバムになっているなあと。

にもかかわらず、amazarashiの熱気を嗅ぎとって(ライブ会場に)集う共感者は今回も沢山いました。

そんな様子もこのアルバムのコンセプトらしくて、ツアーを終えて「永遠市」が完成した、と追加公演のMCで秋田さんが仰っていた意味もようやく理解できた気がしています。


とりまツアー円盤化はよ!

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