雨曝しな気持ちは言葉にするべきだ

雨曝しな気持ちは言葉にするべきだ

amazarashi大好き系ブログ

ア ア ア アイザック

こんばんは、『さよならごっこ』のラスサビが「一度は一つになれたかなあ」って感嘆詞だったことが割と衝撃だったダーレクです。


Twitterでは『アイザック』の歌詞ツイートも始まっていますね。これはどうやら近いうちに『それを言葉という』の世界観も知ることができそうです。


個人的にはこの表現がめちゃめちゃ好きでした。最初の煙っぽいフレーズの羅列からのちょっとしたカタルシスが堪りません…!


僕は『ラブソング』の歌い出しを連想する歌詞からダークな曲調を思い浮かべましたが、『月光、街を焼く』のような透き通った暗さを持つ曲の可能性もあったりで、結局いつも通り何も想像つきませんね。


それはさておき、今日の本題は秋田日記の方なんですが、最近秋田さん更新早すぎやしませんか。しかも復活から2連続で詩は急すぎてもう訳が分かりません。笑



『アルカホール』は2つ目の女性視点


明確な女性視点の曲は、実多による『独白』に次いで2作目になります。『自虐家のアリー』はどちらかと言うと三人称視点ですし、『数え歌』も初出こそ“サラの歌”ですが、どこか普遍的な童謡って感じですし。


僕の第一印象は「本当に秋田さんが書いたの?」でした。


もちろん秋田さんが書いたと分かった上でそう問いたくなります。だって今になって全く新しい目線からこのクオリティの詩をまとめ上げるってどういうことですか。『独白』から何かを得たのでしょうか。


また、相変わらずドキッとする比喩が多いですね。個人的には「███ほど信号は███」って表現が一番好きです(検閲済み)。


リフレインパートの「ア ア ア」は今までに無いパターンで、あれだけ読むとぶっちゃけ草生えますが、実際に秋田さんが歌うと重みが変わってくるのでしょうね。


今までも「ああ」くらいなら『ハルキオンザロード』や『悲しみ一つも残さないで』の歌詞にありましたが、あの書き方はもう作曲も終わっていそうです。ってことは…?



結局アルバムってどうなっちゃうの??


シングルが3回もリリースされると流石に気になっちゃうのがこの話題。「武道館で時間は稼いだし、そろそろミニアルバムかな?」と思っていたところにさよならごっこドーン!だったので、いくらタイアップとは言えシングルがどんどん積み上がっていく光景は見ていて心配になります。


さよならごっこ

さよならごっこ

  • amazarashi
  • ロック
  • ¥255


まあ、いずれアルバムが出るにしてもテーマが「言葉」という固定観念はそろそろ捨てた方が良さそうですね。現状を見ると結構ごった煮になりそうです。


ところで『アルカホール』と『マスクチルドレン』って随分と対照的じゃないですか?結末もそれぞれ「抗い」と「諦め」で真逆ですし、性別も違えば、韻を踏む意識も全然違います。


それすなわち「どちらか、あるいはどちらも次のアルバムに収録されない説」が爆誕するわけですが、もうなんか考えるの面倒くさいので新譜はよ。


逆に共通しているのはお酒が好きということくらいでしょうか。まさに「この親にしてこの子あり」って感じですね。笑


新言語秩序でも「実多と希明、名前の由来“I'm Akita”のアナグラム説」には当時めっちゃ納得した記憶がありますが、もしかしたら秋田さんの頭の中の天使と悪魔みたいな存在だったんですかね。


さて、そろそろネタ切れなので前回同様APOLOGIESのリンクを貼って締めたいと思います。あんまり推して勧誘っぽくなってもあれだし「入りたきゃ入れば?」くらいの感覚でお願いします。まさに前回激推ししたばっかなんですけどね。


http://artist-site.jp/apologies/